省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

1977年 福塩線戦前形旧形国電置き換え計画

 先日、福塩線の写真を掲載したときに、当時の旧型国電の運用表も掲載しましたが、同時に1977年6~10月にかけて行われた、戦前型旧型国電阪和線から捻出された70系に置き換えた計画の資料もありますので、それも今回蔵出ししたいと思います。

 阪和線はかつて車両博物館と言われるほど多種多様な電車が走っていました。1970年代半ばにはすでに社型電車は引退していましたが、戦前生まれの40/60系、73系、70系、103系113系、それに紀勢線が電化されていませんでしたので急行、特急型気動車である58, 81, 83系が活躍していました。各停は103系区間快速は60, 73系、快速は70系、新快速は113系が主として充当されており、戦前生まれの旧型国電天王寺-鳳間を時速90km近くで爆走していました。

 しかし、1977年3月の時刻改正で釣り掛の旧型車両は阪和線からすべて引退となりました。そこで捻出された車令の比較的若い70系300代を中心に福塩線に転用されることになりました。とはいえ問題となるのは、前回見ていただいたように、当時の福塩線は、McTcが基本で、付属に Mc, Tc単独の運用があるという短編成で細かい運用を行っていたのに対し、70系はクモハがなく、最低 TcMMTcの4両になってしまう点です。しかも1日で一挙に交代させるわけにもいきません。70系の移動は6月から10月にかけて徐々に行われます。その間どう運用させるかが問題になります。

 そのため、府中電車区では同年7月2日から10月の51系完全引退まで次のような暫定運用計画を立てて実施しました。それが下図です。

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福塩線暫定運用 1977年7~10月

 

 これを見ますと、70系 TcMMTc を 府中方のTcM(西編成) と福山方のMTc(東編成)に分割し別運用とします。そして51系のTcMcと混用します。一方、東編成には51系単独の Mc 運用を作り、TcM(or TcMc)/Mc もしくは TcM(or TcMc)/MTc(or TcMc)の3両もしくは4両で運用したようです。西編成は2両 x 5運用、東編成は2両 x 3運用、1両 x 2運用となりました。70系の2両編成は片方にしか運転台がないので、現場の方々は、入れ替えにはかなりご苦労をされたのではないかと思います。

 そして70系の転入、51系の転出計画です。

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車両転入・転出計画

 最後に府中を後にしたのはクモハ51037でした(1977.10.6)。この時まで暫定運用が使われたものと思われます。因みに、転入・転出回送運転計画は下記の通りでした。

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回送運転計画

 70系統一後は、4両 x 5運用 + 予備1編成となりました。とはいえ、牽引車代用のクモハ32000を除くと、置き換え前は21両、置き換え後は24両と管理車両は3両増えました。また、当時の (おそらく今も) 福塩線の輸送量では終日4両編成は明らかに輸送力過剰です。これが1M方式の新性能電車105系を生み出す大きな要因になったと思われます。

 なお、当時の筆者の問い合わせに丁寧に対応していただいた府中電車区の担当者の皆様に改めて感謝の念を表します。

 

 なお、筆者は70系と混結する51系の写真を撮りには行けませんでしたが、ネットを見ると写真を撮られた方がおられるようです。例えば下記のサイト...

furukiyokikandou.image.coocan.jp

yasuziro.blog.fc2.com

tsurikakedensha.blogspot.com

tsurikakedensha.blogspot.com