省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

1975年3月改正 飯田線電車運用図

 前回は1983年の飯田線旧型国電置き換え計画について記事を書き、同時に1978-83年の電車運用図も掲載しました。今回は飯田線豊橋口に80系が進出する前、1975年3月改正の飯田線電車運用図を掲載します。これは豊橋機関区の戦前型旧型国電の最後の運用でもあり、1978年の80系投入まで使われました。

 

f:id:yasuo_ssi:20210709225450p:plain

1975年3月改正 飯田線電車運用図

 当時、飯田線の車両は豊橋機関区(静トヨ)、中部天竜機関支区(静チウ)、伊那松島機関区(静ママ)の3か所に分かれて配置されており、静トヨの運用番号は30~50代および荷、静チウは60代、静ママは70~90台となっていました。

 静トヨ31-34運用は、McTTMcの4両編成で、主に豊橋口を中心に運用されていました。流電クモハ52はこの運用に限定されて使われていました。1975年の運用改正で30台の運用が飯田線北部に入るのは、1225Mと260Mに限定され、昼間に飯田線北部でクモハ52を撮影する機会がなくなりました。41-44運用は、TpgcMcMc編成で、クハユニ56がこの運用に限定され使われ、Mcにはクモハ42が使われることが多かったです。典型的な40台編成は、上り方からクハユニ56+クモハ42+クモハ42で、クモハ42のパンタグラフは上り寄りだったので、パンタ側が先頭に立った写真の撮影の機会は少なかったかと思います。豊橋-辰野を通して走る1200台列車を主に担当していました。51-55運用はMcTcの2両運用で、通常は2両運用x2の4両で、閑散時は単独で、多客時は4両運用の増結として使われました。運用範囲は豊橋から辰野、茅野に至る全域でした。

 静チウの61-64運用は、McTcの2両編成で、車両配置は予備1本を含む10両でした。運用範囲は豊橋から上諏訪までで、他区の車両と併結されて運用されることが多かったです。この区には、流電第1次のサロハ66を制御車化したクハ47が配置されていました。今となってはわずか10両の車両配置で検修まで担当していたなんて考えられません。ちなみに旧型国電廃止後なぜか一時的に豊橋機関区の機関支区から単独の機関区に昇格しましたが、結局1985年に廃止され、その跡地はJR化後佐久間レールパークとなって賑わいましたが、名古屋にリニア・鉄道館が開設されることになって、開設準備のために2009年に閉館となり、車両も多くは移され、一部はそのまま解体されました。

  伊那松島機関区はMcTc 2両の71-89運用とTgcMc 2両の91-92運用がありました。71-89運用は豊橋ー茅野の全域で運用され、ご覧のように静トヨ、静チウ車と連結して運用されることも多々ありました。91-92運用はクハ55をクハニ化したクハニ67900代が使われていました。Mcには座席定員を考慮してかロングシートのクモハ61が入ることが多かったと思います。本運用は、平岡-辰野間に限定されていました。クハニ67は原則この区間で運用されましたが、たまに、Tcが検査などで足りないときは予備車として71-89運用に転用されることがありました。

 国鉄の荷扱いは1986年11月に全面廃止されてしまいましたが、飯田線中部天竜天竜峡間は、並行する道路はあるものの不便で、長野県南部から愛知県を結ぶ区間では今でも荷扱いの需要はありうるのではないでしょうか。コロナで乗客も減っていますし再検討されても良いように思いますが...

 なおこの運用図は、以前以下のサイトに掲載していました。

blog.goo.ne.jp

  ご覧になってお分かりのように、今回スキャンした結果を補正してきれいにしています。この補正方法については後日公表します。

f:id:yasuo_ssi:20210710154234p:plain

クモハ52001以下4連 (1878.1)