こちらの電車運用図は、1977年春に沼津機関区から頂いた青焼きの運用図を、見づらいため書き直したものです。おそらく飯田線と同様1975年3月に改正されたものではないかと思います。
この運用図は基本的には、1980年3月改正で、塩山-韮崎間ローカルが115系により置き換えられるまで使われたのではないかと思います (78年10月の白紙改正で一部変化があった可能性もあります)。1 - 33の運用番号が入っているものが、沼津区所属の旧型国電による運用で、静岡所の165系や松本所の165系の運用は、濃緑色で表記し、運用番号を入れていません。
また、沼津区所属旧型国電の大船工場への入出場運用は下記の通りでした。たしか静岡運転所とダイヤは共通で、曜日によって違っていたと思います。記憶では水曜か木曜に運転されることが多かったように思います。静岡運転所からくる入出場列車は牽引車代用のクモハ60が引っ張ってきていたように思います。
なお、元々静岡局の車両(電車)は浜松工場で検修を担当していましたが、新幹線の検修で余裕がなくなったため大船工場に移管されたと、どこかで読んだことがありました。飯田線車両以外は基本的に大船工場で検修を担当していたと思います。そのためクモハユニ44やクハ47などは古巣の横須賀線を走行する機会が晩年まであったことになります。その大船工場も今やなくなってしまいました。
そして、或る日の富士区の車両運用表... こちらは富士電車区から頂いたものです。不具合で急遽運用から外したり、編成の中に押し込んだりと、現場で苦労されていた様子が伝わってきます。
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