省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

高崎-横川間専用で運用されたクハニ67900 (1975.10)

 こちらは信越本線、高崎-横川間専用に運用されていたクハニ67です。とはいえ原型ではなくクハ55から改造されたグループです。元々は伊東線用にクハ55から改造されたようですが、後に伊東線の新性能化および信越ローカルの電車化で新前橋に転属したようです。この写真を撮ったときは最晩年の1975年10月で、翌年の1月には、やはり高崎-横川間限定運用だったモハ30ともども廃車になってしまいます。元々は手荷物・小荷物輸送のため配置されたのだと思いますが、写真を撮ったときは荷物室は全く空で、荷物輸送に使われていないような様子でした。結局トイレが設置されていなかったので、比較的距離の短い高崎ー横川間に継続して限定使用され、末期は荷物輸送にも使われずそのままクハ代用として使われていたのだと思います。おそらく、その運用の使い勝手の悪さからか、他の新前橋の旧型国電よりも一足先に廃車になってしまいました。他に新前橋にはなぜか高崎-水上間限定で運用された73系も配置されていましたが、本車と相前後して廃車になっています。水上-高崎間は、清水トンネル以北から新ナカの70系が乗り入れていましたので、この区間での70系の運用には問題がなかったはずです。これもなぜ70系で運用されなかったのか謎です。単純に車両不足だったのでしょうか。

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クハニ67900 (高シマ)

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反対側面

 本写真も、以前以下のページで掲載したものですが、今回新たに補正をし直しています。

blog.goo.ne.jp

最後に本車の車歴です。

1936.11.27 日車東京支店製造 (クハ55032 東鉄配属)  → (1947.3.1東モセ所属) → (1954.3 東イト所属) → 1955.12.25 改造 東イト → 1964.2.4 高シマ → 1975.1.5廃車

 私の調べた範囲では1947年には下十条 (京浜東北線) にいたようですが、その後1954年までに田町電車区伊東支区に移っています。大阪から横須賀線用として上京したモハ42は1951年3月に伊東線に転じていますし、また京浜東北線の4扉車集中配備も1950~51年ごろに行われていますので、おそらく同時期にモハ42と組み合わせて使用するために伊東線に転じたものと推定されます。そしてそのまま手荷物輸送需要に対応するために改造されたものではないかと思われます。推測ですが、クロスシート車が揃っていた伊東線に、ロングシートの本車が配備されたのも、車両の一部を仕切って、臨時の手荷物輸送用として使用するためだったのではないかと推測されます。

 因みに、伊東線の電化自体は、1938年に行われていますが、電車化は、東海道線電化延長で必要になる電気機関車を捻出するために、1949.5 に横須賀線車両を使って行われたのが最初のようです。

 伊東線は、1961年に伊豆急行線が開業し直通運転が始まります。本車も直通運転に使われ伊豆急下田まで顔を出したことがあるようですが、伊豆急直通に伴う乗客の急増と、新製の新性能車をそろえた伊豆急の車両レベルに合わせるためか、比較的早い時期に111系化され、本車は、高崎地区に移りました。

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