本車はクハ47の中でも、ロングシートだった以外は、外観に特徴のない、判別に苦慮する車ナンバーワンと言える存在でした。ロングシート化されていた理由は敗戦後連合軍専用車として代用二等車に指定されていたためです。体格の良いアメリカ人にとっては日本のクロスシートは窮屈で、そのため足が延ばせるようにロングシート化されていたと思われます。連合軍専用車指定は1953年10月までに解除され、その後70系投入で静岡地区に転出するモハ32の相棒として不足する制御車として改造されました。但しロングシートは復活せずそのままでした。
前面ワイパーが1つなのは、サハ48改造クハ47の特徴でした(但し47001を除く)。
トイレは4位側についています。オリジナルグループは3位側にありましたので、反対でした。
外から垣間見える戸袋窓の内側の窓がベージュ色に塗られていますので、客室内はニス塗りが維持されていたと思われます。
貫通路扉はプレスドアに交換されています。
本車の車歴です。
汽車会社東京支店製造 1932.3.7 (48028) 使用開始 東チタ → (1947.3現在 東ヒナ) → (1953頃?) 静フシ → 1954.2.26 改造 豊川分工 (47067) → 1957.8.1 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.9.8 廃車 (静ヌマ)
本車はもともと横須賀線用32系の差は48028として汽車会社東京支店で製造されました。しかし1947年3月時点で東神奈川区に配置されています。横浜線沿線には米軍基地も多いですし、横浜線用の連合軍専用車として使われていたものと思われます。おそらく1945年の秋~冬にかけて移動したのでしょう。その後横須賀線に復帰したのかどうかは定かではありませんが、おそらく1953年10月の連合軍専用車指定解除(厳密に言えば遅くとも1952.3.31までに連合軍専用指定は解除され[線区によって差異あり]、その後1953年10月までは日本人も混乗可能な代用2等車として運用)と共に富士区に移り、豊川分工場で不足する制御車として改造されたものと思われます。
なお、本車はやや遅れて1954年に改造されていますが、この時既に旧モハ32のモハ14は既に全車静鉄に転出していて払底しており、不足する身延線用電動車として、南武線、鶴見線を走っていた30系のモハ11から2輌モハ14114, 116が追加改造され富士区に配置されます。本車はこれに対応するクハ47として改造されました。なおモハ14114, 116は1956年、モハ14の低屋根化改造車と入れ替わりで豊橋区に転出、更に伊那松島区に転出して、1966年に廃車となっています。また1957年の更新修繕で前面樋の曲線化、Hゴム化等、後の身延線クハ47の典型的な姿に改修されたものと思われます。
ところで身延線のロングシート・クハ47の室内写真を撮らなかったことが今となっては非常に残念です。
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