省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

モハ60をセミクロス化した 飯田線 クモハ54106 (蔵出し画像)

 こちらは飯田線のクモハ54106です。豊橋区に80系導入後、伊那松島区で地道に乗客輸送の主力を担った多数派クモハ54の中の1両です。1978年の豊橋機関区の80系化では、100kwのMT-15搭載車の多くが廃車となり、出力強化されたMT-30搭載車が主力となりました。

 本車は関西向けの元モハ60ですが、戦後セミクロスシート化されクモハ54に編入されたグループです。

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クモハ54106 (静ママ) 1983.6 伊那松島駅

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クモハ54106 (静ママ) 1983.6 伊那松島駅

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クモハ54106 (静ママ) 1977.12 豊橋駅

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クモハ54106 (静ママ) 1978.1 伊那松島駅

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クモハ54106 (静ママ) 1975.5 辰野駅
後位はクハ47011

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クモハ54106 (静ママ) 1975.5 辰野駅

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クモハ54106 (静ママ) 1977.12

 こちらは、54106の客室内です。この車両は運転台すぐ後ろ左側のロングシートがなぜか撤去されていました。

では本車の車歴です。

1941.3.1 日本車輛製造 (モハ60034) → 1941.3.10 使用開始 大ミハ → 1945.1.6 座席撤去 → 1948.5.28 大ヨト → 1948.11.4 座席整備 → 1950.11.6 大アカ → 1953.6.1 改番 (54106) → 1955.7.23 更新修繕 吹田工 → 1966.5.28 静ママ → 1983.11.29 廃車 (静ママ)

参照資料: 『関西国電50年』

 本車は、1941年に関西向けモハ60として名古屋の日本車輛で製造されました。なお本車は偶数車として製造されましたが、電気側(1-3位側)の機器配置が関西標準と異なり、関東の戦後更新修繕された偶数車と同様でした。つまり、抵抗器が3位側に寄っていました。これは電装が吹田工場で行われたのではなく、日本車輛で行われた可能性と、戦後の更新修繕で抵抗器の位置が変わった可能性の2つが考えられますが、どちらかは分かりません。吹田工場で比較的遅い時期に更新修繕を受けた車輌は電機側の機器配置も関東に準ずる形に変更された車輌があったようです。おそらく運行灯が大型に改修されはじめたのと同時期ではないかと睨んでいるのですが...

 本来なら宮原区に投入されるならモハ54のはずですが、既に戦時体制に入っていましたのでモハ60として製造され、京阪神緩行線用に投入されました。戦後一時、城東・片町線に転出しますが、再度京阪神緩行線に復帰、1951年に京阪神緩行線セミクロス復活の方針を受けセミクロスシート化されてクモハ54に編入されます。比較的早い1966年に飯田線に転出し、その後北部を中心に17年間飯田線を走り続けました。