省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

飯田線 クモハ43009 (一部蔵出し画像)

 この車輛は、以前高尾山麓日記で紹介しました。以下の内容もその記事をアレンジして掲載します。

 流電も合いの子も良かったのですが、戦前型旧型国電の中でも一番好きだったのは、いささかいかつい関西国電の雄、クモハ43でした。角張って貫通路が正面にしっかり付いていながら、流麗さも兼ね備えたところがとても気に入っていました。角張って貫通路が明確な電車が好き、というのは今もそうで、名デザインとうたわれる湘南型の正面は、どうも今ひとつ好きになれないまま...

 クモハ43のクロスシートに狭窓がずらっと並んだコンセプトはのちの117系やそして三扉にはなりましたが221系、223系と関西の電車に脈々と受け継がれていると言えるでしょう。

 特に伊那松島区にいたオリジナルのクモハ43は、本数の多かった豊橋口ではなかなか見ることができなかったこともあって、非常に憧れていました。

 78年の80系導入では、やはり出力が低いことがネックになったのか、43015を除いてクモハ52などと運命を共にしてしまったため、なかなか写真に撮れていません。クモハ53は出力強化が幸いしてか78年以降も残っていましたし、写真も撮れていますが、やはり抵抗器の形状が違います。

クモハ43009 (静ママ) 1977.7 辰野電留線

 

 Hゴム化されていない運転台窓にPS-11と非常に格好良い姿を残していました。これで前面に幌が備えらえていれば言うことないのですが...

クモハ43009 (静ママ) 1977.7 辰野電留線

 以下のモノクロ写真は蔵出し画像です。

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クモハ43009 (静ママ) 1976.5 豊橋機関区

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クモハ43009 (静ママ) 1976.5 豊橋機関区

 

本車の車歴です。

製造 1934.3.3 (大阪鐵工所) → 1934.6.25 大ミハ → 1948.6 座席整備 → 1950.3.18更新修繕I(吹田工) → 1950.5.22 東チタ → 1955.9.12 更新修繕II(豊川工) → 1957.3 東イト※※※ → 1957.12 東チタ → 1957.12 静ママ(貸) → 1958.2.21 静ママ(正式転属)→[全般検査77-4浜松工 (※※)] → 1978.10.19 静トヨ → 1978.11.17廃車 (静トヨ)

※※現車確認データ
※※※鉄道ピクトリアル'57.5号

 本車は1934年、大阪鐵工所で製造されました。本車を製造した大阪鐵工所は、1943年に日立に買収され日立造船となりますが、日立は既に鉄道車両製作部門を、山口県の笠戸に持っていたため、鉄道車両製作部門はそのまま廃止になったものと思われます。その後宮原区に配置され、京阪神間の輸送に従事しますが、戦時中に座席撤去され (時期不明) また4扉化の計画も立てられましたが施行されることなくなんとか生き残ります。しかし、1950年、横須賀線転用のため上京します。しかし、1957年、横須賀線に残すクモハ43は下り向き、偶数車に統一することとなり、奇数車だった本車は、当時年々乗客が増加していた伊東線に転用されます。

 ただ、この頃伊東線にも一部70系の投入が始まったせいか、わずか9か月で田町に戻され、直ちに飯田線に貸し出されます。そしてそのまま正式転属となり伊那松島区を根城に活躍することになります。21年間飯田線で活躍し、1978年秋の80系の投入で廃車となりました。結局飯田線での活躍期間が一番長かったことになります。1978年10月に豊橋区に転属していますが、これは廃車予定車の管理のための転属だったと思われます。