省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元サロハ46、身延線の兄弟車 信越線のクハ68111 (蔵出し画像)

 既に、身延線車両の紹介で、元関西急電のサロハ46→モハ52投入で短編成化のためクロハ59→戦時対策で三扉化クハ55→戦後クロスシート復活でクハ68と複雑な変遷を経てきたクハ68、2輌を紹介しましたが、本車はその残りの1輌です。

 本車は兄弟とは離れ一人信越線にやってきて70系の相棒を務めていました。横軽区間にこそ入ることはなかったものの、軽井沢から、長野を経て遠く新潟県は柏崎までかなり遠距離の運用がありました。残念ながら115系化によって、身延線の兄弟より一足早く引退に追い込まれてしまいましたが...

クハ68111 (長モト) 1977.7 長野駅

 信越地区の70系は、横須賀線中央西線の伝統でジャンパケーブルが3線でした。このため、関西から転入してきた本車もジャンパ受けが3栓に改造されています。また豪雪地帯を走るためスノープロウも設置されていました。また運転台側貫通路扉に桟が入っています。

クハ68111 (長モト) 1977.7 長野駅

それでは本車の車歴です。

1934.8 日本車輛製造 1934.9. 使用開始 (サロハ46103) 大ミハ→ 1936.4.1 改番 (サロハ46017) → 1937.10. 改造 吹田工 (クロハ59025) → 1937.11.6 大アカ → 1938.10.20 大ミハ → 1943.2.15 大アカ → 1943.6.24 改造(三扉化 & 座席撤去) 吹田工機部 (クハ55109) → 1948.12.25 座席整備 → 1950.9.28 大アカ → 1955.3.7 改造兼更新修繕I 吹田工 (68111) 大アカ → 1964.10.1 大タツ → 1972.2.9 長ナノ → 1974.12.17(?) 長モト → 1978.2.20 廃車 (長モト)

 本車は1934年8月に日本車輛で製造され、4輌の大阪急電編成に使用されました。しかし、急電編成へのモハ52の投入により各停運用に回されることになってクロハ化されることとなり、最初の改造を受けます。所属区も急電非担当の明石に一旦変更になりました。さらに戦時中の三扉化、座席撤去でクハ55への編入、そして戦後セミクロスシートの復活でクハ68への編入と目まぐるしく改造されました。

 他の2両の兄弟と別れたのは、他の兄弟が明石から比較的早い時期に静鉄に転出したのに対し、本車は高槻区に移り、比較的遅くまで京阪神に残ったためでした。そしてその後、神領などから転出してきた70系とともに信越線の電車化に使われることになり長野にやってきて、ジャンパ栓も3栓に改造されます。しかし、信越地区は5年余りの活躍で115系化によって廃車となりました。長く京阪神間で活躍した車輛でした。

 なお、クハ化後はずっと奇数車でした。

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 因みに、京阪神間活躍時代の写真をアップされていた方がいらっしゃいます。リンクを紹介しておきます。

http://mokugoho.web.fc2.com/3sub54.html

 なお、上の写真を拝見すると、京阪神時代は、運転台左側の窓がHゴム化されていなかったようです。長野転属で寒さ対策としてHゴム化された可能性が高いと思います。因みに大阪地区では運転台窓のHゴム化がかなり行われましたが、運転台左窓が2段だった車両はHゴム化されることはあまりなく、元々左窓が1段だった車両 (主として平妻車) で主としてHゴム化が施行されたようです。おそらく2段窓は夏の暑さ対策として1934年後期以降導入されていたと思われますので、それをなるべく維持するという方針があったのではないかと思われます。

 兄弟車の68107, 109も静鉄転入後は、Hゴム化されてこそいませんが、左側窓は1段の羽目殺しに改造されていました。一旦飯田線北部の伊那松島区に配置されていますので、その際、寒さ対策で改造されたものと思われます。

 本車の場合平妻車ですが、クハ化改造が1937年でしたので、2段窓になっていました。

 また、正面貫通路窓にも桟が入っていますが、これも長野転入後のことのようです。理由は不明ですが、あるいは窓ガラスが破損した際に、大きめの窓ガラスを新たに発注することなく、小さめのガラスの端切れを使って補修するために桟を入れたのかもしれません。同様なものは、北松本転入後のクモハ43810に施行されていたのを見たことがあります(後に通常の形態に改修されました)。あるいはクモハ43810に使われていた窓を、通常窓に改修したのちに転用したのかもしれません。

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兄弟車

yasuo-ssi.hatenablog.com

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 なお、もう1両のサロハ46は、関西2扉車の最初の4扉改造試作車となり、後年クハ79056となりました。