省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

やはり変顔の 身延線 クハ55319 (蔵出し画像)

 本車は55301と並んでやはり変顔だった車両です。55301は何枚も写真を撮る機会がありましたが、本車は探してみたらこの1枚しか写真がなく、なぜか、なかなか御縁がありませんでした。55301は、運転台のHゴム窓が、両方とも同じサイズでしたが、本車は右側の窓が小さめで、さらに癖のあるスタイルをしています。

 本車は常磐線以降はほぼ55301と同様の経歴をたどり、客室内がモスグリーンに塗潰されていたのも同様です。

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クハ55319 (静ヌマ) 1981 富士電車区
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ImageJ対応・相対RGB色マスク作成ツール・バージョンアップ (Ver. 0.15)

 拙作の相対RGB色マスク作成ツールを再度バージョンアップします。今回追加した機能は、作成したマスクを反転するオプションです。以下のダイアログの図をご覧ください。

相対RGB色マスクツール パラメータ設定ダイアログ

 ファイル選択ダイアログ、加工対象チャンネル選択ダイアログの次に上のパラメータ設定ダイアログが出ますが、黄色の矢印のところにMask Inversion for Excluding selected area というオプションが増えています。これは最終的に作成したマスクを最後に反転させるオプションです。これにより選択範囲を透過させるのではなく、選択範囲を透過させない(編集効果を及ぼさない)反転したマスク画像が作られます。デフォルトはチェックなしです。

オプションをチェックしない黄色透過マスク (未反転)
閾値: 10, 透過係数: 2.0  適用明度範囲128-255

オプションをチェックした黄色反転マスク (反転)
パラメータ設定は上に同じ

閾値を-10 透過係数を2.0 にした青色(補色)透過マスク
適用明度範囲は上と同じ

 黄色の閾値10にしたマスクを反転しても、補色である青色の閾値を-10にしたマスクとは異なります。

オリジナル (作成元ファイル)

 注意していただきたいのは、反転は、プレビュー画面で明度の範囲閾値を指定した範囲のマスク画像部分に対し適用されるので、プレビュー画面で適用を除外した明度範囲は未反転画像と同じくやはり不透過 (黒) になる点です。つまり単純に未反転画像を反転した画像ではないという点です。

 なお、一番上の Mask invert for **** Mask は補色のマスクを作るかどうかのチェックボックスですので、下のチェックボックスとは機能が異なります。

 ダウンロードはこちらから。

 なお、煩雑で申し訳ありませんが、下記の記事も併せてご覧ください。

yasuo-ssi.hatenablog.com

yasuo-ssi.hatenablog.com

yasuo-ssi.hatenablog.com

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 なお、本記事で紹介した写真補正技法やソフトウェア (Plug-in) は、個人的および非営利用途であれば、自由に使っていただいて構いませんが、本技法を使って何らかの成果 (編集した写真等) を公表する場合は、本記事で紹介した技法を使った旨クレジットをつけて公表していただくことをお願いします。

 また、本ソフトウェアは現状のまま提供されるものし、作者はこれを使ったことによるいかなる損害補償等にも応じられないことを了解の上使っていただくものとします。
 但し、もしソフトウェアのバグがありましたら、ご連絡いただければなるべく改善するよう努めたいと思います。

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押込み式通風機が特徴だった飯田線クモハ54007 (一部蔵出し画像)

 今回の車両は、飯田線で唯一押込み式ベンチレータを備えていたクモハ54007です。押込みベンチレータを備えていた... ということは一時仙石線で使われていたということです。仙石線使用後、飯田線に転属してきました。しかしクモハ54であったにもかかわらず、1978年の豊橋機関区配置車両の80系化で早々に廃車になってしまいました。以下の写真を撮ったときは全検から出てきたばかりで (1977-12 浜松工) 検査期限は余裕があったはずですが...

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クモハ54007 (静トヨ) 1978.1 豊橋機関区

 80系を迎えるために豊橋機関区拡張工事が行われた頃で、バラストが真新しいです。

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クモハ54007 (静トヨ) 1977.12 豊橋機関区

 全検出場直後で、回送で送られた後まだ編成に組み込まれていない状態です。塗装はピカピカです。

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旧形国電のサボ受けその他いろいろ

 ここのところ身延線を中心に旧形国電の写真を紹介していますが、行先表示や列車種別表示などの目的でいろいろなサボ受けが存在します。中には謎のサボ受けもあると思いますので、それらについて紹介してみたいと思います。因みにサボとは、サイドボードを略したのが語源です。

 

東海道山陽本線京阪神区間用列車種別サボ受け

クモハ51800 (静ヌマ)

 戦前に、京阪神東海道山陽本線の急行電車 (急電) 列車種別表示用に使われたサボ受けです。このサボ受けは1934年度製造のモハ42,3系から大鉄向けの電車に設置され、1941~42年製造の車輛まであったようですが、戦争が激化する1943年度以降は大鉄向けでも設置されていなかったようです。関西最初の国電で城東・片町線向けだった40系には設置されていません。

 大阪の国電でも、戦後関東から関西に行った東鉄向けクモハ51では当然ながら設置されていませんし、戦後も使われた形跡がないのですが、比較的初期に更新修繕を受けたクモハ51を中心に結構残っていました。ただ更新修繕の際に撤去した車輛もありました。

 また、上部幕板に行先方向サボ受けを設置した車両は、位置が被りますのでそれを機に撤去されたケースも多かったようです。

クモハ54005 (長キマ)

 例えば、上はクモハ54005のケースですが、他の方が撮られた更新修繕後の京阪神緩行線時代の写真では残っていたのに、上の大糸線時代の姿では消えています。仙石線の他のクモハ54では残っているので、本車もおそらく仙石線時代まで残っており、大糸線転入時に、行先サボ受けを設置する際、位置が被るので撤去したものと思われます。

 なかにはわざわざ急電種別サボ受けを避けて、行先サボ受けを設置したケースもありましたが... (下図)

クモハ51032 (長キマ)

 横須賀線経由で関東、静鉄に行った42, 43グループは更新修繕ですべて撤去、クモハ52は飯田線転入当初は残っていましたが、1960年頃までには撤去されています。

 

■行先方向幕表示器

 サボではありませんが、やはり戦前形国電の中央部幕板に設置されていたオリジナルの行先方向幕です。

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クモハ51800 (静ヌマ) 

 これはどうやら1933年度に登場した大阪向けの40系で初めて設置されたようです。のち関東向けの国電にも広く採用が拡大しており、クモハユニ44803にも残っていました。モハ63以降は見られませんが、1943年度製の戦前型最終製造車まで設置されていました。

 但し当時は当然今日のような電動方向幕などではなく、手動で動かすほかはありません。編成が長くなるほど方向幕を変えるもの一苦労です。戦時中に、連結輌数が増えたり、人手不足の混乱で、使われなくなったようです。関東での更新修繕ではことごとく撤去され、大阪で初期に更新修繕を受けたごく一部の車と、長野で更新修繕を受けた車のみに残存しましたが、広く採用された割には、残存率は極めて少ないです。更新修繕Iぐらいまでは残存しているケースが多かったようですが、更新修繕II あるいは1960年代の全検における改修によって、ほとんど撤去されてしまったようです。

 なお、手動式方向幕登場前の30~32系では、のちの車で方向幕が設置された位置に、吊下げ式の行先表示サボを掛けるフックがあったようです。おそらく特に非ホーム側から高い位置にある吊下げ式の側面サボを交換するのは脚立などを使用する必要があり、かなり面倒だったと思われますので、それに比べれば車内からハンドルで回せる方向幕の方がかなり楽だったはずです。そのため普及したものと思われます。因みに客車は少なくとも昭和期の吊下げ式サボの場合、窓下に設置されていたので、窓から交換することができました。電車の場合は、都心を走り混雑も激しく、窓下では見えにくいということで、窓上の幕板にサボを吊下げていたのかもしれませんが...

 また、一般国電に側面方向幕が復活するのは1972年に登場した横須賀・総武直通運転準備でATC機器を搭載した113系1000番台増備車あたりからではないかと思います。特急用車両だと電動側面方向幕が設置されるのは1967年製の581系あたりかと。

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ARTを使ったネガカラーフィルム画像のポジ化過程 スクリーンキャプチャ動画

 

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 ARTのオンラインフォーラムの以下のページに、ARTを使って、デジタルカメラでネガフィルムを撮ったRawファイルをポジ転換しホワイトバランス調整まで行っていく編集過程の、作者である A. Griggio氏によるスクリーンキャプチャ動画が掲載されています。ポジ転換自体は比較的簡単にできるものの、その後のカラー調整でどうやるべきか悩んでいらっしゃる方もおられると思いますので、ご参考にご覧ください。

discuss.pixls.us

 なお、当然ながらスクリーンキャプチャ動画では、使っているモジュール名が英語になっていますので、以下使っているモジュールの日本語名を記しておきます。またどのようにパラメータを設定したらよいか困っていらっしゃる方もいらっしゃると思うので、参考までに動画の中で設定されている数値パラメータ値も記録しておきます。もちろんネガフィルムのタイプや現像液が異なれば、そのまま使えませんが、参考までに。

 なおサンプルでは画像の中にパーフォレーション枠も写り込んでいましたが、写り込んでいない場合は、同じ露光条件で、同じフィルムの未露光のコマを別途写しておいて、そこから値を取得することで、代替可能です。

ネガフィルム

・フィルムベース色の取得

 →パーフォレーション枠部分をピックアップしてフィルムベース色を調整

  R: 2839.3 G: 3336.2 B: 1628.7

ニュートラルポイント(無彩色点)のピックアップ

 →無彩色点をピックアップしてホワイトバランスを調整

  基準指数: 1.5 レッドの比率: 1.22 ブルーの比率: 1.037

 ↓

回転

・直線選択ツール

  →傾きを補正

 ↓

切り抜き

・セレクト (範囲選択)

 →パーフォレーション枠部分を除外

 ↓

ロック式カラーピッカーの設置

 →調整するカラーの値をモニタするため

 ↓

ホワイトバランス
 RGB乗数調整
 → 最終的に ブルー 2.6 レッド 0.55に調整 (グリーンは 1.0 のまま) 

 ↓

チャンネルミキサー
 原色補正
 → ブルー原色 色相 -59 彩度 -86 グリーン原色 色相 63 彩度 59 (レッドは動かさず)

 ↓

トーンカーブ
 フレキシブル

 ↓

ソフトライト

 → 値はデフォルト値 (30) のまま適用

 ↓

ホワイトバランス
 色温度調整

 → 色温度 2968

 

 なお、Griggio氏はいきなり、ホワイトバランスのRGB乗数調整でブルー 2.6 グリーン 1.0 レッド 0.55 という値を使っていますが、これは、おそらく元のフィルム/印画紙のRGB感度の違いに対応しているのではないかと思われます。フィルムによっては多少値が異なるとは思いますが、ブルーが最も高く、グリーンが中間、レッドが最も低い値を適用するのが適当ということかと思います。Griggio氏は、無彩色点のピックアップである程度近い値を得ることができるとは言っていますが。

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カメラセンサー、印画紙、3色LEDスキャンの反応の比較

 またチャンネルミキサーで原色補正を使っているのは、そういう手があったか、という感じです。このあたりのホワイトバランス、カラーバランスの微調整はGriggio氏も経験が必要で複雑なので、簡単にこうすればよいというのは言いにくいと言っています。

 サンプルに使っているRawファイルは以下のページからダウンロード可能です(元記事は darktable のネガドクターに関するものです)。

discuss.pixls.us

 なお、同じページに他にも様々な処理過程のサンプルスクリーンキャプチャ動画がありますので、ご参考に。

低屋根化されながら身延線に行かず仕舞いだったクモハ51804 (蔵出し画像)

 今回紹介する車輌は、中央西線大糸線で使われたクモハ51804です。身延線では使われませんでしたが、身延線とは、ちょっと掠る程度のかかわりはありました。元々はクモハ51004でしたが、身延線で使われることを前提として低屋根化され改番された車両です。本車は1970年明石区の103系の投入で捻出されましたが、この時明石区から捻出されたクモハ51の大半は身延線に転出しました。しかし本車のみ他の明石区のクモハ51とは異なり飯田線中部天竜機関支区に転出しました。本車の転入により、中部天竜に1両のみ最後まで残っていたクモハ14013が廃車になりました。ところが本車はなぜか低屋根化されます。いずれ関西からさらにクモハ51が転出してきたら、その時に身延線に再転出させる予定だったのでしょうか。

 しかし、1970年に置き換える予定のクモハ14は22輌(14800, 802〜823, なお801は1967年に廃車)だったのに対し、沼津区に投入されたクモハ51は13輌、クモハ60は9輌と同数です。一部20m車(41800代、51800代 各2輌、43800代 4輌)は既に配備されていましたが、それらはそのままでした。20m車とは言え、身延線に多かったクモハ51の初期車は、クモハ14と5年程度しか車令の差がありません。車両故障等で身延線の低屋根車が足りなくなった時のバックアップとして考えられていたのかもしれません。

 結局、本車は身延線で使われることはありませんでした。低屋根が活用されるのは、1973年3月に松本運転所北松本運転支区に転出してからでした。中央西線篠ノ井線のローカル運転用としてです。

クモハ51804 (長キマ) 1977.7 松本駅

 こちらは、中央西線篠ノ井線区間運転に就いているクモハ51804です。朝の上松発松本行で松本に到着し、分割作業中かと思います。北松本運転支所の旧形国電による上松-松本ー麻績 (のち聖高原) 間の区間運転は1973年3月28日の篠ノ井線の電化および同年5月の中央西線中津川-塩尻間電化で開始され、115系投入の玉突きによって、1977.8.10に松本運転所(本所)の80系に移管されるまで続きました。この写真はその最末期に撮ったものです。

 この区間運転は客車列車の置き換えですが、当初身延線に73系を改造したアコモ改造車62系を投入し、身延線の余剰車で運転する予定でした。しかし、投入が2年遅れたため、飯田線身延線から転出もしくは借り入れの形で車両がかき集められて始まりました。

 この時点で北松本に行ったのは静ママから本車と静ヌマから68001, 017が転属し、そして静ヌマから51850が借り入れられ、始まりました。中央西線塩尻ー中津川間はやや遅れ電化されますので、当初は松本ー麻績間のみではなかったかと思います。その時点ではMcTcの1運用で1編成を予備に当ててたのだと思いますが、中央西線電化後はどうしていたのか... 予備編成無しで4輌をフルに使い、検査時は80系あたりを当てていたのか... ?

 1975年3月にはアコモ改造車が静ヌマに配備され、捻出されたクモハ43800代やサハ45が北松本にやってきて4運用で担当することになり、最長6両編成で運転されることになりました。サハ45は大糸線運用に充てられ、その代わり大糸線運用からトイレなしクハ55が捻出され、中央西線運用に就きました。本車が中央西線篠ノ井線ローカルを担当している間は、交番検査の時のみ北松本に戻りましたが、普段は松本運転所に常駐していました。

クモハ51804 (長キマ) 1980.8 北松本運転支所

 こちらは、中央西線区間運転終了後、大糸線に転用され活躍していた当時のクモハ51804です。結局低屋根が活用されたのは4年半あまりでした。まさか中央西線で活用されることを見越して低屋根化されたとも思えませんが...

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当初飯田線用にクハ化された 身延線 クハ47059 (蔵出し画像)

 先日サハ48001をクハ化したクハ47057を紹介しましたが、本車はサハ48002をクハ化した車輌です。本車の経歴もクハ47059と非常に似ており、戦後連合軍専用車に指定されたあと、クハ化され飯田線に配置された経歴も同じです。ただサハ48001は山手線に配置されましたが、本車は常磐線でした。

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クハ47059 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

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クハ47059 (静ヌマ) 1979.5 富士駅

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クハ47059 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区
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