旧形国電
今回は阪和線の クモハ60004 です。阪和線のクモハ60 の多くは、関東のクモハ60の一大拠点であった常磐線の新性能化に伴って、旧阪和形の社形国電クモハ20の淘汰のためにやってきた車輛です。旧阪和形は、天王寺ー和歌山間を高速で結ぶため、当時としては非…
今回は、新前橋電車区にいた クモエ21005 です。 クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区 こちら逆光になってしまい、写真としては失敗なので、今まで公開を躊躇してきましたが、記録としてお見せします。当時逆光の場合露出を開け気味に撮るということも…
自分がなぜ旧形国電ファンになったのかを思い返してみると、片野正巳さんが書かれた『陸蒸気からひかりまで』という1:150スケールで描かれた国鉄車輛イラスト集が思い当たります。当時の男の子たちのご多分に漏れず蒸気機関車が好きでした。とはいえ当時お子…
本日は2/2ということで 2 の数字が連続する車輛を紹介します。しかも最初に製造されてから今年で100年目です。 こちらは沼津機関区に牽引車として在籍していた クモヤ22202 です。といってもクモニ13 を改番しただけで外観上は全くオリジナルのクモニ13と区…
本車も信越線で使用された原形クハ68で、元番号はクハ68019でした。本車に関しては、関西から中央西線電化で名古屋地区に移り、さらに 73系の転入で信越線長野地区に移った車両ですが、名古屋地区のクハ68の多くが客室内ペイント塗りつぶしになっていたのに…
2024年新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 ところで本日は 1 月 1 日ということでそれにちなんでトップナンバーの車輌をご紹介します。クモハ41を出力強化して、1939年に登場したクモハ60のトップナンバー、クモハ60001 …
今でも強く感じられることですが、首都圏と関西圏では人口規模が大きく異なります。そのため、40系の中間付随車であるサハ57は首都圏のみに新製投入されました。1950年前後に首都圏の混雑のひどい国電区間は基本的に20m 4扉車 (および一部 17m 3扉車) に統一…
本車は長年にわたり飯田線で小荷物・郵便輸送に大活躍した車輛です。1日に豊橋ー辰野間の長距離の往復を繰り返していました。1978年に80系が投入される前までは、豊橋機関区の40番台運用を担当し、クモハ42もしくは50と組み、McMcTpgc の3両編成で飯田線を…
さてこちらは主として信越線で使用されたクハ68で、元々クハ68として製造された原形クハ68グループの1輌です。信越線で、クハ76の不足を補うため、70系とともに使われたクハ68は、中央西線経由で入った車両が多かったのですが、本車はクハ68090とともに仙石…
1940年に登場したモハ41の後継は出力強化したモハ60となりましたが、同時に資材節約のためノーシルノーヘッダーというすっきりした姿で登場しました。このノーシルノーヘッダーのモハ60の相手となる1940年に登場したクハ55もノーシルノーヘッダーで登場しま…
43系の制御車、クハ58は総数25輌中、戦時中の1944~45年にかけて過半数の13輌が4扉車に改造されました。当初全車施工の予定でしたが資材不足等でこの数にとどまりました。とはいえ、かなりの数が4扉化されてしまいました。 この写真を撮りに行った1976年3…
本車は以前ご紹介したクハ68044と同様に中央西線経由で長岡にやってきた車輛です。このため車歴も非常に似ていますが、クハ68044は運転台窓のHゴム化が施行されていなかったのに対し、本車はHゴム化と関西型通風器の設置が行われていました。おそらく、本車…
本日ご紹介する旧形国電車輛は、かつて片町線で使われていたクハ79056です。と言っても、63系のクハ79とは異なります。本車は42系2扉車の4扉改造車の先鋒です。同時に4扉車の元祖・源流であり、のちのモハ63や101, 103, 201, 203, 205系、そして今日の209, 2…
本日は鉄道記念日です。というわけで再び旧形国電の紹介に戻りたいと思います。本日ご紹介する車輛は上信越線、長野地区で活躍したクハ68028 です。新潟地区に転属前に関西でHゴム化と関西型通風器を設置していますが、その後さらに新潟地区特有のタイフォン…
※本記事は、以前別サイトに掲載していたものを若干手直ししたものです。 本車は、ずっと豊橋機関区の片隅にいた救援車、クエ28100です。他の車に隠れていることも多かったのですが、このときはたまたま比較的空いていたため全体を撮ることができました。もっ…
かつて1977年5月に新前橋電車区を訪問した時に頂いた資料です。高鉄局の電車配置表とは言え、新前橋電車区しかありませんでしたので、新前橋区の配置表とイコールです。ページ上では見にくいと思いますので、画像をコピーして画像ビュアー等に貼り付けて拡大…
今回の車輛は、高崎地区で運用されていたクモハ41047です。以前紹介したクモハ41044と同様、モハ41として最後に新製されたグループで、電気溶接が採用されたためリベットがなくなっています。ただし044とは異なりヘッドライトは通常の形式に改修されています…
今回は新潟地区で活躍していたクロハ59を改造したクハ68です。本車は新潟地区電車化のパイオニアとして、1962年に関西からやってきた車輛です。第1陣は10輌ほどの陣容だったようです。この当時まだ関西地区はHゴム化や関西型通風器などの独自の改造を行って…
暑い日が続きます。本日は8月28日ですが、44年前の本日撮った写真を紹介します。 伊那松島機関区を訪問した際にたまたま撮っていた写真です。 1979/8/28 伊那松島機関区の車輛運用 電車の 70番台運用と80番台運用は McTc の運用です。当時の伊那松島区にはト…
こちらは富士急行のモハ7032です。本車は元々横須賀線用モハ32031(のちクモハ14009)であり、いわば日本の長距離電車の始祖に当たる車輛でした。撮影時は既に国鉄には元モハ32はなく、富士急行線に残った2輌が最後の活躍を続けている状態でした。当線に来る前…
今回の写真は、可部線のクハ16477です。先日解体されてしまったクモハ11117とともに可部線で働いていました。クハ16は17m車の制御車ですが、出自は様々で、0 番台が31系のオリジナルのクハ、100番台は30系モハ30を電装解除したグループでダブルルーフ屋根の…
今回紹介する車両は、沼津機関区にいた救援車クエ28002です。救援車とは、事故が発生した際に現場に駆けつけて復旧作業にあたる車輛です。室内には復旧用機材が備え付けられていました。かつては、どの車両基地にも救援車が1輌はありました。多くは営業用に…
いよいよ8月に突入しました。今年はとりわけ暑さがこたえますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 今回ご紹介する車両は阪和線のクモハ60151です。元々は、1933年に大阪の城東、阪和線で国電が走り始めた時の1輌で、元番号はモハ41004でした。その右側はク…
さて、本日は本ブログ開設3周年です。今回は飯田線のクモハ61004 (静ママ) をご紹介します。伊那松島機関区所属の電車は、おそらく飯田線北部で冬の寒さが厳しかったためか、運転台側に幌が付いた車輛はあまり好まれず、貫通路があっても幌を外し、前の貫通…
先日クハ68044の写真をアップしましたが、今回は、クハ68200 です。横須賀線用クハ47002 を三扉化改造した珍車です。写真が撮れたのは長岡運転所でのこの1枚だけでした。正面を見ていただくと、筒を斜めに切ったような「角」が正面に生えておりますが、これ…
本車は新潟地区で活躍していたクハ68です。最近越後ときめき鉄道でもリバイバルカラーの車が出ていますが、有名な元祖新潟色をまとっています。もともと新潟地区は1963年に関西地区から移ってきたクハ68+モハ70で電車化されましたが、当初はブドウ色のままで…
本車は、クハ55の第1次車 (001~023) に引き続き製造された、第2次車です。平妻ですが、半室運転台のサイズが大きくなったため、窓配置が第1次車とは異なり、運転台側乗務員室扉後ろの窓が2枚になっているのが特徴です。 なお、本グループは戦災やクハ68…
以前やはり御殿場線のサロ45から改造されたサハ78030をご紹介しましたが、こちらは横須賀線のサロハ46から改造されたサハ78400です。サロハから改造されたため、サハ78030 とは異なり、窓配置が不規則になっているのが特徴です。さらに御殿場線転入に当たり…
先日(2023.3.1)公開したクモハ12052に続いて、同じ日に撮影したクモハ12053の写真も公開します。これもいずれも黄変からの新規サルベージ画像です。なお、黄変からの補正過程は、クモハ12052記事に提示しましたので、本記事では省略します。クモハ12053は鶴…
こちらは、かつて戦前形旧形国電の中間車が集まっていた岡山地区で撮影したサハ57です。岡山では数少ないロングシート車でした。このサハ57は、通常のサハ57と窓配置が異なっています。というのは元々京浜東北線用のサロハ56として製造され、戦時中の2等車…