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本車は長年にわたり飯田線で小荷物・郵便輸送に大活躍した車輛です。1日に豊橋ー辰野間の長距離の往復を繰り返していました。1978年に80系が投入される前までは、豊橋機関区の40番台運用を担当し、クモハ42もしくは50と組み、McMcTpgc の3両編成で飯田線を…
70, 113, 115, 211, 313, 225, 227系など 3扉セミクロスシート車の起源となったのは、1935年に登場したクモハ51です。元々は、高尾山へのハイカーで賑わった東京圏中央線のサービス向上のため投入され、中央線の一番下り側 (偶数) に連結されました。中央線…
本日ご紹介する旧形国電車輛は、かつて片町線で使われていたクハ79056です。と言っても、63系のクハ79とは異なります。本車は42系2扉車の4扉改造車の先鋒です。同時に4扉車の元祖・源流であり、のちのモハ63や101, 103, 201, 203, 205系、そして今日の209, 2…
※本記事は、以前別サイトに掲載していたものを若干手直ししたものです。 本車は、ずっと豊橋機関区の片隅にいた救援車、クエ28100です。他の車に隠れていることも多かったのですが、このときはたまたま比較的空いていたため全体を撮ることができました。もっ…
今回の車輛は、高崎地区で運用されていたクモハ41047です。以前紹介したクモハ41044と同様、モハ41として最後に新製されたグループで、電気溶接が採用されたためリベットがなくなっています。ただし044とは異なりヘッドライトは通常の形式に改修されています…
さて、本日はJR東日本現役の209系1000代の車輛です。このグループは常磐緩行線/地下鉄千代田線用として登場しました。元々は、列車増発に伴う203系の補充用として1999年に2編成のみ製造されたレア車です。203系および207系500代は2009-11年に掛けてE233系20…
今回は新潟地区で活躍していたクロハ59を改造したクハ68です。本車は新潟地区電車化のパイオニアとして、1962年に関西からやってきた車輛です。第1陣は10輌ほどの陣容だったようです。この当時まだ関西地区はHゴム化や関西型通風器などの独自の改造を行って…
暑い日が続きます。本日は8月28日ですが、44年前の本日撮った写真を紹介します。 伊那松島機関区を訪問した際にたまたま撮っていた写真です。 1979/8/28 伊那松島機関区の車輛運用 電車の 70番台運用と80番台運用は McTc の運用です。当時の伊那松島区にはト…
今回の写真は、可部線のクハ16477です。先日解体されてしまったクモハ11117とともに可部線で働いていました。クハ16は17m車の制御車ですが、出自は様々で、0 番台が31系のオリジナルのクハ、100番台は30系モハ30を電装解除したグループでダブルルーフ屋根の…
今回紹介する車両は、沼津機関区にいた救援車クエ28002です。救援車とは、事故が発生した際に現場に駆けつけて復旧作業にあたる車輛です。室内には復旧用機材が備え付けられていました。かつては、どの車両基地にも救援車が1輌はありました。多くは営業用に…
いよいよ8月に突入しました。今年はとりわけ暑さがこたえますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 今回ご紹介する車両は阪和線のクモハ60151です。元々は、1933年に大阪の城東、阪和線で国電が走り始めた時の1輌で、元番号はモハ41004でした。その右側はク…
今回の車輛は JR東日本が2021年に新製した牽引車 クモヤE492-1, E493-1 です。かつて国鉄時代、牽引車はどの電車区にも少なくとも1輌、時に2, 3輌は配備されていました。というのは国鉄では車両は1輌単位で管理され、検査期限切れが近づいた車輛があると、そ…
さて、本日は本ブログ開設3周年です。今回は飯田線のクモハ61004 (静ママ) をご紹介します。伊那松島機関区所属の電車は、おそらく飯田線北部で冬の寒さが厳しかったためか、運転台側に幌が付いた車輛はあまり好まれず、貫通路があっても幌を外し、前の貫通…
pixls.us のオンラインディスカッションに、富士フィルムのカメラのフィルムエミュレーションをエミュレートした、DCP プロファイルおよび cube ファイルを公開された方が情報を寄せています。関心のある方はご覧下さい。 ダウンロード先はこちら。 github.c…
先日クハ68044の写真をアップしましたが、今回は、クハ68200 です。横須賀線用クハ47002 を三扉化改造した珍車です。写真が撮れたのは長岡運転所でのこの1枚だけでした。正面を見ていただくと、筒を斜めに切ったような「角」が正面に生えておりますが、これ…
本車は新潟地区で活躍していたクハ68です。最近越後ときめき鉄道でもリバイバルカラーの車が出ていますが、有名な元祖新潟色をまとっています。もともと新潟地区は1963年に関西地区から移ってきたクハ68+モハ70で電車化されましたが、当初はブドウ色のままで…
本車は、クハ55の第1次車 (001~023) に引き続き製造された、第2次車です。平妻ですが、半室運転台のサイズが大きくなったため、窓配置が第1次車とは異なり、運転台側乗務員室扉後ろの窓が2枚になっているのが特徴です。 なお、本グループは戦災やクハ68…
こちらは中央東線で活躍する211系のトップナンバーです。国鉄末期の1985年に製造され、2012年まで名門田町電車区に配置されて長年東海道本線の通勤需要を担っていました。なお、本車の前は平坦地用の111、113系と勾配地用の115系に分かれており、東日本地区…
こちらは、飯田線を走ったクモハ42009 です。クモハ42は、京阪神間の電車化で製造された2扉車のモハ43グループの両運転台型電車です。1950年に他のモハ43グループと共に上京し横須賀線で使われますが、両運転台で定員が少なかったためか、70系が整備されると…
以前やはり御殿場線のサロ45から改造されたサハ78030をご紹介しましたが、こちらは横須賀線のサロハ46から改造されたサハ78400です。サロハから改造されたため、サハ78030 とは異なり、窓配置が不規則になっているのが特徴です。さらに御殿場線転入に当たり…
こちらは元々中央線の201系置き換えのために登場した E233系のトップナンバー T1 編成です。2006年暮れから順次投入されました。JR 東日本ではいつの間にか最大勢力となりました。すでに登場以来 17年が経過しています。 中央線高尾以西の山区間にも運用する…
昨日 (日本時間では本日 朝4時ごろ)、DP Review のニュースが更新され、当面はなんとか存続するようです。 https://www.dpreview.com/news/8995784126/dpreview-an-update 最終的にシャットダウンが回避されるのかどうかは分かりませんが... 一方、DP Reviw …
こちらは、先日公開したクモハ12を撮った同じ日に弁天橋電車区で撮った 101 系です。パンタグラフを見て、中央線山用に低屋根で製造された 101系 800代とすぐわかって撮影しておいたものです。 クモハ101-195 (南テシ) モハ100-810 モハ100-810 ただ、山用 1…
先日(2023.3.1)公開したクモハ12052に続いて、同じ日に撮影したクモハ12053の写真も公開します。これもいずれも黄変からの新規サルベージ画像です。なお、黄変からの補正過程は、クモハ12052記事に提示しましたので、本記事では省略します。クモハ12053は鶴…
こちらは 2015 年に増備された E531系3000番台のトップナンバー(K551編成)です。この系列は、茨城県北部で運用されていた 415系 1500番台の置き換えを目的に作られた、準耐寒耐雪構造で作られたグループで、閑散地区での運用と、首都圏での付属編成としての…
先日 (2023.2.17) 新潟地区を走っていた E127系による置換が発表された、JR東日本南武支線の205系1000番台です。なお、余剰のE127系は2編成なので、1編成は残ることになります。中間電動車を両端運転台付きに改造したオールM編成です。山手線、埼京線をは…
こちらは、かつて戦前形旧形国電の中間車が集まっていた岡山地区で撮影したサハ57です。岡山では数少ないロングシート車でした。このサハ57は、通常のサハ57と窓配置が異なっています。というのは元々京浜東北線用のサロハ56として製造され、戦時中の2等車…
以前、鶴見線クモハ12の写真は、現役最後の写真を掲載しましたが、こちらは国鉄末期、弁天橋電車区公開日の クモハ12052 の写真です。なお、クモハ12052は現在も車籍があり、書類上は、鶴見線車輛を管理する鎌倉総合車両センター中原支所所属となっています…
1970年代の前半に、首都圏の新性能電車の投入で押し出されたモハ72やサハ78によって、京阪神地区の戦前形中間車が姿を消していった中、岡山地区は戦前形中間車の一大牙城となっていました。というのは、岡山地区は、基本的に McTTMc とクモハ51によって中間…
この写真は、当ブログの発足当初に補正画像を掲載しましたし、また当ブログの前身ブログでも掲載していますので、三度目の掲載です。先日クモハ11117を再補正しましたが、この写真も再補正してみます。やはり、この二年半の黄変補正ツール・技術の進歩を反映…