鉄道
1976年に、片町線が新性能化されることを知って当時片町線を担当していた淀川電車区に問い合わせていただいた資料です。 84輌の冷房つき 103系を新製し、半分を大阪環状線 (森ノ宮区) に、半数を首都圏に投入し、新製の冷房つき 103系と 首都圏から捻出した…
戦前形旧形国電を主として紹介してきましたが、今回は戦後製の旧形国電です。新前橋区にいたクハ77003です。本車は元々 サロ85 でしたが、80系の地方転出に伴い余剰になった サロ85 を、地方転出に伴い不足していた 70系用制御車として転用した変わり種です…
EF10 の出力強化型後継機として、1941年に登場した機関車です。本車はそのトップナンバーです。戦前の貨物機関車の到達点と言われますが、製造輌数はやや少なく、17輌にとどまりました。また戦時中の資材不足で、最後の車輛が出場したのは、1944年でした。 …
下の写真は、凍てつく厳冬の辰野駅に進入するクモハ54127 です。茅野発平岡行き238Mとして6 輛編成でやってきました。以前掲げたことのある写真ですが再編集しました。 クモハ54127 (静トヨ) 1978.1 辰野 この日クモハ54127は豊橋機関区53運用についていまし…
本車は既にご紹介したクハ68021 と同じく元43系の一員クロハ59を改造したクハ68です。戦前に既に3扉化改造されています。本車はクハ68021よりやや遅れて新潟に来たため、運転台窓が両方とも H ゴム化されています。運行灯窓もおそらく Hゴム化されたものと…
大糸線に クハ55 は数多く在籍していましたが、その多くはオリジナルのクハ55ではなくサハ57を改造したクハ55をさらに便所つきに改造したものでした。本車はその中の1輌、クハ55439 です。実はこの車輛、便所つきに改造された当初はクハ55440とされましたが…
今回は阪和線の クモハ60004 です。阪和線のクモハ60 の多くは、関東のクモハ60の一大拠点であった常磐線の新性能化に伴って、旧阪和形の社形国電クモハ20の淘汰のためにやってきた車輛です。旧阪和形は、天王寺ー和歌山間を高速で結ぶため、当時としては非…
今回は、新前橋電車区にいた クモエ21005 です。 クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区 こちら逆光になってしまい、写真としては失敗なので、今まで公開を躊躇してきましたが、記録としてお見せします。当時逆光の場合露出を開け気味に撮るということも…
先日 EF10 8 の写真をアップしましたが、今回は沼津機関区で台検中だった EF10 31 です。 EF10 31(豊) 1977.5 沼津機関区 EF10 31(豊) 1977.5 沼津機関区 台車が取り外されて車体が浮いています。 EF10 31(豊) 1977.5 沼津機関区 日立製作所の製造銘板が見ら…
主に旧形国電の写真を撮っていましたが、フィルムの合間に電機の写真も撮っていました。もっとも当時はフィルムだったので、フィルム代を考えるとそうたくさん撮ることはできませんでした。今回のそのうちの数コマです。 私が通っていた小学校は東海道本線の…
自分がなぜ旧形国電ファンになったのかを思い返してみると、片野正巳さんが書かれた『陸蒸気からひかりまで』という1:150スケールで描かれた国鉄車輛イラスト集が思い当たります。当時の男の子たちのご多分に漏れず蒸気機関車が好きでした。とはいえ当時お子…
今回は、旧形国電ではなく身延線に新製配置された頃のピカピカの 115系の写真です。といっても身延線の115系もすでに過去帳入りとなっています。赤色2号、ワインレッドカラーの 115系です。 冷房装置は、都市部では設置が進んでいまいたが、本車は閑散区間用…
本日は2/2ということで 2 の数字が連続する車輛を紹介します。しかも最初に製造されてから今年で100年目です。 こちらは沼津機関区に牽引車として在籍していた クモヤ22202 です。といってもクモニ13 を改番しただけで外観上は全くオリジナルのクモニ13と区…
本車も信越線で使用された原形クハ68で、元番号はクハ68019でした。本車に関しては、関西から中央西線電化で名古屋地区に移り、さらに 73系の転入で信越線長野地区に移った車両ですが、名古屋地区のクハ68の多くが客室内ペイント塗りつぶしになっていたのに…
2024年新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 ところで本日は 1 月 1 日ということでそれにちなんでトップナンバーの車輌をご紹介します。クモハ41を出力強化して、1939年に登場したクモハ60のトップナンバー、クモハ60001 …
今でも強く感じられることですが、首都圏と関西圏では人口規模が大きく異なります。そのため、40系の中間付随車であるサハ57は首都圏のみに新製投入されました。1950年前後に首都圏の混雑のひどい国電区間は基本的に20m 4扉車 (および一部 17m 3扉車) に統一…
本車は長年にわたり飯田線で小荷物・郵便輸送に大活躍した車輛です。1日に豊橋ー辰野間の長距離の往復を繰り返していました。1978年に80系が投入される前までは、豊橋機関区の40番台運用を担当し、クモハ42もしくは50と組み、McMcTpgc の3両編成で飯田線を…
70, 113, 115, 211, 313, 225, 227系など 3扉セミクロスシート車の起源となったのは、1935年に登場したクモハ51です。元々は、高尾山へのハイカーで賑わった東京圏中央線のサービス向上のため投入され、中央線の一番下り側 (偶数) に連結されました。中央線…
さてこちらは主として信越線で使用されたクハ68で、元々クハ68として製造された原形クハ68グループの1輌です。信越線で、クハ76の不足を補うため、70系とともに使われたクハ68は、中央西線経由で入った車両が多かったのですが、本車はクハ68090とともに仙石…
1940年に登場したモハ41の後継は出力強化したモハ60となりましたが、同時に資材節約のためノーシルノーヘッダーというすっきりした姿で登場しました。このノーシルノーヘッダーのモハ60の相手となる1940年に登場したクハ55もノーシルノーヘッダーで登場しま…
43系の制御車、クハ58は総数25輌中、戦時中の1944~45年にかけて過半数の13輌が4扉車に改造されました。当初全車施工の予定でしたが資材不足等でこの数にとどまりました。とはいえ、かなりの数が4扉化されてしまいました。 この写真を撮りに行った1976年3…
本車は以前ご紹介したクハ68044と同様に中央西線経由で長岡にやってきた車輛です。このため車歴も非常に似ていますが、クハ68044は運転台窓のHゴム化が施行されていなかったのに対し、本車はHゴム化と関西型通風器の設置が行われていました。おそらく、本車…
本日ご紹介する旧形国電車輛は、かつて片町線で使われていたクハ79056です。と言っても、63系のクハ79とは異なります。本車は42系2扉車の4扉改造車の先鋒です。同時に4扉車の元祖・源流であり、のちのモハ63や101, 103, 201, 203, 205系、そして今日の209, 2…
先日、JR東日本 209系 1000番代 81編成をご紹介しましたが、本日はその相棒、八トタ82編成です。やはり常磐線緩行線から中央線グリーン車導入およびトイレ設置工事に伴うピンチヒッターとして転用されやってきました。先日、2024年度末、おそらく3月改正で中…
先日たまたま大崎駅を通ったところ、埼京線用 E233系7000代のトップナンバー 101編成に出くわしましたので撮ってみました。このときはりんかい線線内運用に就いていました。それぞれ海山両側から撮ってあります。 クハ E232-7001 (1号車) 宮ハエ 大崎駅 2023…
10月21日に、中央快速線の12輌化準備として、列車運休を伴う高尾駅構内のポイント切替工事が予定されています。それに先立って高尾駅に工事に使われる JR東日本の操重車が集結していますので、写真を撮ってみました。 操重車 810N / 高尾駅 2023.10 (以下同)…
本日は鉄道記念日です。というわけで再び旧形国電の紹介に戻りたいと思います。本日ご紹介する車輛は上信越線、長野地区で活躍したクハ68028 です。新潟地区に転属前に関西でHゴム化と関西型通風器を設置していますが、その後さらに新潟地区特有のタイフォン…
※本記事は、以前別サイトに掲載していたものを若干手直ししたものです。 本車は、ずっと豊橋機関区の片隅にいた救援車、クエ28100です。他の車に隠れていることも多かったのですが、このときはたまたま比較的空いていたため全体を撮ることができました。もっ…
かつて1977年5月に新前橋電車区を訪問した時に頂いた資料です。高鉄局の電車配置表とは言え、新前橋電車区しかありませんでしたので、新前橋区の配置表とイコールです。ページ上では見にくいと思いますので、画像をコピーして画像ビュアー等に貼り付けて拡大…
今夏韓国旅行で撮ってきた写真シリーズですが、今回は Korail ヌリロ号用車輛、200000号代*1 幹線電機動車です。本シリーズは1974年に京釜線ーソウル地下鉄乗り入れ用に 1000系を納入して以来、32年ぶりの 2008年に日本メーカーが 韓国の鉄道向けに納入した…