省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線の変顔車輛ナンバーワン クハ55301 (蔵出し画像)

 本車は1959年度に、常磐線の運用合理化に伴い分割併合運転を行うため、サハ57をクハに改造した車両です。おそらくあまり先頭に出ることが考慮されていなかったのか、正面扉は客用貫通路扉のままで運行灯もないという手抜き工事です。以前紹介した高崎地区にいたクハ55431と同じグループです。しかしいったん関西に転出したときに運転台窓を両方ともHゴム化されて、さらに身延線転出後幌枠が撤去されたことで、埴輪を想起させるような、かなり変な顔になっています。身延線にいた同じ仲間に55319がいますが、運転台のHゴム窓の形状が異なるので、遠方からでもすぐ区別がつきます。なお客室内は、当時のメモによるとモスグリーンのペイント塗潰しでした。これは55319も同様でした。

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クハ55301 (静ヌマ) 1977.9 富士電車区

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クハ55301 (静ヌマ) 1981 富士駅

 

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クハ55301 (静ヌマ) 1981.7 富士駅

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クハ55301 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

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クハ55301 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

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クハ55301 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

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クハ55301以下 1981

では、本車の車歴に紹介です。

新潟鐵工所製造 (57028) 1941.2.16 使用開始 東シナ → 1947.5.31 東イケ → 1950.2.16 更新修繕I 大宮工機部 東チタ → 1951.2.13 東マト → 1956.9.25 更新修繕II 大宮工 → 1960.1.8 改造 大船工 (55301) 東マト → 1967.7.18 天オト → 1971.2.27 静ヌマ → 1981.9.12 廃車 (静ヌマ)

 本車は、1941年に準戦時型のサハ57028として新潟鐵工所にして製造されました。1947年には池袋にいましたので、おそらく最初から山手線に投入された可能性が高いです。しかし、おそらく1950年頃、山手線の20m 3扉車の追放が行われ、常磐線に移ります。1950年に更新修繕を行った際、一旦横須賀線に出ています。その後東マトに転出しました。当時、松戸には京浜東北、山手線、中央線の4扉化により、これら線区を追い出されたサハ57の大半が集結しました。関西国電は編成が短かったので、関西にサハは転出させられなかったためでしょう。しかし、常磐線の運用合理化で分割併合運転を行うことになり、クハが足りなくなったのでクハ化され、さらに6年後、常磐線の新性能化開始で阪和線に転出します。そこで運転台窓のHゴム化と関西式通風機が設置されました。しかし4年後、おそらく103系の増備で阪和線も追われ身延線にやってきます。本車と55319の転入で、元流電サロハ66のロングシート2扉トイレ付の47153, 155が飯田線に転出します。身延線転入後関西式通風機は撤去され、前面の通風機も穴が埋められます。そのままトイレが設置されることもなく10年間使われました。

 1979年5月の写真を見ると11番という運行番号が見えますが、身延線10番台運用(11-18)は4両編成の運用です。アコモ改善車3本、および、McTMcTc もしくは、 McTcMcTc の編成が充当されていました。 したがってトイレ付の車輛と編成を組んでいたはずです。また一番上の写真はクモハユニ44と組んでいますが、この運用は単独で走ることはなかったので、トイレ付きのMcTcと連結されるよう配慮されていたと思います。

 なお、身延線の当時の運用については以下のページをご覧ください。

yasuo-ssi.hatenablog.com