身延線
いよいよ身延線旧形国電シリーズ最後の車輛となりました。やはり最後の車輛にふさわしいのは、1981.8.31身延線旧形国電最終日にさよならヘッドマークを掲げて走ったクモハユニ44801でしょう。身延線を代表する名物車輌の一両でした。 クモハユニ44801 (静ヌ…
身延線戦前型旧型国電 (1975-81) の未紹介の車両も、本車を含め、後残すこと2両となりました。 こちらはクハ47のトップナンバークハ47001です。32系のトップナンバーは改造されたり、改番されたりで、元の番号のまま残った車両はほとんどないのですが、本車…
いよいよ身延線戦前型旧形国電中、未掲載の車輛も残り少なくなってきました。未紹介車輛は本車を含め残り3輌です。 本車は身延線用モハ51800代の内、元関東向けモハ51の最終番号車です(元モハ51024)。それとともに、室内がモスグリーンに塗られていた車両と…
本車は、クハ47051 (改造当初は47011) 、47053 (同47012)と並んで、クロスシートだった数少ない改造クハ47の1輌です。改造クハ47の多くは連合軍専用車を経たため、多くはロングシートでした。 クハ47055 (静ヌマ) 1977.5 富士電車区 クハ47055 (静ヌマ) 1981…
クモハ51804以降の800代では、本車からクモハ51の第2次車になります。つまり、当初から全室運転台車として製造された車です。そのため、第1次車とは異なり、運転台扉とその後位の窓の間隔が開いています。このグループも関東仕様の偶数車でした。 クモハ5181…
こちらも元関東向けクモハ51第1次車を低屋根化した車輛で、元番号はクモハ51009でした。このグループは51系中、唯一半室運転台だったグループで、後に更新修繕の際に全室運転台に改められました。またこのグループは1960年代に運転台窓のみならず全車運行灯…
以下の図は、1981年6月10日から旧形国電の115系への置き換えが完了する8月31日まで用いられた身延線の暫定電車運用です。当時のメモから書き起こしてたものを1980年の運用に上書きする形で書いています。本図をコピーして画像ビュアーに貼り付けて拡大してご…
こちらは身延線の普通のクモハ60です。正面の通風機は原型のままで、原型の雰囲気をよく残した車両でした。 クモハ60808 (静ヌマ) 1981.7 富士駅 戸袋窓を見ると、内側がモスグリーンに塗られているのが見えますので、おそらく客室内もモスグリーンのペイン…
本車は原型のクハ47の1輌で、クハ47005~7の3輌は外見が非常に似ていました。正面に設置された引出式の列車種別表示器 (もともとは1933年国電区間中央線急行運転由来)、側面腰板に設置された列車種別サボもいずれも備えていました。典型的な身延線原形クハ47…
本車は東海道・山陽線京阪神間用として1933年度にクハ58008として製造されました。その後、横須賀線を経由し身延線にやってきた車輌です。 クハ47106 (静ヌマ) 1976.4 富士電車区 正面貫通扉脇に、戦前の国電の後位貫通路開き戸脇にあったような大きな手摺が…
本車両は、元々連合軍専用車だったサハ48022を改造したクハ47です。連合軍専用車になったときに、既存の座席の間隔ではアメリカ人の体格では窮屈ということで、ロングシート化された車両の一両です。日本の独立回復直前に連合軍専用車指定は解除され、代用2…
改めて写真を整理してみると、本車に関しては随分写真を撮っていました。もちろん身延線のスター、クモハユニ44なので、一所懸命写真を撮っていたこともありますが、ご縁も多い車だったと思います。本車は44801とともに旧形国電最終運行日まで運行についてい…
本車は3両いた元半流クハ55をクロスシート化してクハ68に編入した車の1両です。形態的にはさほど変わったところはありませんが、本車が特異なのは、元々関東向けクハ55だったことです。クハ55をクハ68に改造した車の大半は元々関西向けクハ55でしたが、出身…
こちらは、身延線のクモハ51808です。元々はクモハ51007で、身延線入線時に低屋根化され808に改番されました。当初は関東向けモハ51で戦後関西に行った車両です。しかも第1次車なので、当初は半室運転台で登場しました。おそらく更新修繕の際に全室運転台に…
本車は、クモハ60の中では結構御縁のあった車両です。何度も撮影できる機会がありました。 クモハ60810 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区 2-4位側の客用扉は桟入りで揃っていました。なお通風器は防寒対策で通風孔が塞がれています。本車は御殿場線経由で身延線に…
身延線の車輛を管理していた富士電車区 (現在は国鉄富士運転区を経てJR東海富士運輸区) は、元々は身延線の前身、富士身延鉄道の車両基地でした。しかし、身延線だけではなく、東海道線静岡地区ローカル運転や、中央東線甲府地区ローカル運転も担当していた…
身延線にはサハ48を改造したクハ47が多数いましたが、大半は連合軍専用車指定を受けてロングシート化されたサハ48から改造したもので、クロスシートのままの改造車は3両しかいませんでした。本車はその少数派の1両です。 クハ47053 (静ヌマ) 1977.9 富士電車…
こちらはクモハ51852と同様、クモハ43から改造されたクモハ51です。横須賀線時代に混雑緩和の目的で43008を改造し51202になり、さらに低屋根改造され51850になりました。なお、以前書いたように身延線車両の中では唯一側面サボ受けがヘッダーの上についてい…
こちらは、モハ51の第1次車、関東向けのモハ51008を低屋根化した車両です。1935年度に製造された第1次車 モハ51001~010の特徴は、半室運転台だったことですが、これは大阪に移った後更新修繕で全室運転台に改修されました。しかしこの車はその改修の際、1-3…
本車は、身延線にいたもう1両のサハ45です。1975年3月までは5両のサハ45が揃っていましたが、アコモ改造車の配備で、3両は大糸線に転出しました。本車は横須賀線退役後、他のサハ45とは離れ一人飯田線に行きました。しかし1969年他の仲間と合流しました。 サ…
本車は元クハ58のグループの内、身延線では唯一幌枠が残っていた車両です。クハ58は1950年に上京して横須賀線に配備されましたが、1951年からの70系の投入でモハ32(後のクモハ14)を静鉄に転出させるにあたり、足りないクハの補充として全車モハ32のお供で静…
本車は55301と並んでやはり変顔だった車両です。55301は何枚も写真を撮る機会がありましたが、本車は探してみたらこの1枚しか写真がなく、なぜか、なかなか御縁がありませんでした。55301は、運転台のHゴム窓が、両方とも同じサイズでしたが、本車は右側の窓…
先日サハ48001をクハ化したクハ47057を紹介しましたが、本車はサハ48002をクハ化した車輌です。本車の経歴もクハ47059と非常に似ており、戦後連合軍専用車に指定されたあと、クハ化され飯田線に配置された経歴も同じです。ただサハ48001は山手線に配置されま…
今回は身延線の珍車の中の一両、クモハ51830です。長年阪和線の異端児 (アイドル?) として活躍した車両ですが、京阪神緩行線103系投入の余波を受けて身延線に押し出されてきた車両です。元々は、モハ42を片運化 & 3扉化し、しかもMT-30へ出力増強まで行って…
さて、先日元サロハ46だったクハ68109を紹介しましたが、こちらも同じサロハ46→クロハ59→クハ55→クハ68と複雑な経緯を経てきた車両です。なお、関西向け43系のサロハ46は4両いましたが、その後身のうち2両が身延線にいたことになります。後の1両(クハ68111)…
こちらは身延線の原型クハ47としてはオーソドックスだったクハ47005で、006との見分けが困難だった車両です。この車は比較的良好な条件で、何枚も写真を撮る機会がありました。 クハ47005 (静ヌマ) 1981 富士電車区 クハ47005 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区 …
こちらも、身延線旧形国電末期の日常輸送の主力として活躍していたクモハ51です。本車も828と並んで関西色豊かなクモハ51だったことが特徴で、関西型通風器が残っていた点、そして床下機器を見ると関西生まれのクモハ51だったことがすぐ分かります。通風器も…
こちらも地味に身延線の輸送を担ったクモハ60の一両です。正面は癖がなく、非常にオーソドックスな関東の旧型国電の表情をしています。但し通風器がつぶされていたのが残念でしたが... クモハ60812 (静ママ) 1977.9 富士電車区 クモハ60812 (静ヌマ) 1979.5 …
旧形国電末期の身延線には半流のクモハは多数いましたが、クハは3両しかおらず、いずれも関西・京阪神緩行線向けクハ55を編入したクハ68でした。戦時体制でなければ、本来クハ68として生産されるべき車輌だったと言えます。本車は68103と同様運転台左窓が2段…
本車はクハ47061と並んで前面直線雨樋と古典的な風貌を維持していた車両です。クハ47061との違いは前面に運転台中央窓下に空気取り入れ口が残っていたこと (47061は塞がれていました) 、台車がTR-23をコロ軸受けに改良した、70, 73, 80系の非電動車で使われ…