本車は55301と並んでやはり変顔だった車両です。55301は何枚も写真を撮る機会がありましたが、本車は探してみたらこの1枚しか写真がなく、なぜか、なかなか御縁がありませんでした。55301は、運転台のHゴム窓が、両方とも同じサイズでしたが、本車は右側の窓が小さめで、さらに癖のあるスタイルをしています。
本車は常磐線以降はほぼ55301と同様の経歴をたどり、客室内がモスグリーンに塗潰されていたのも同様です。
本車に関して、1-3位側が撮れていませんが、他の方の写真を見ると客用扉の形状は2-4位側と同じだったようです。
本車の車歴
日本車輛製造 (サハ57047) → 1941.7.23 使用開始 東モセ→ (1947.3 現在 東モセ) → 1950.11.28 東マト → 1956.5.18 更新修繕I 大宮工 → 1959.10.30 東ツヌ → 1960.2.2 東マト → 1960.2.18 改造 大井工 (55319) → 1967.7.8天オト → 1971.2.27 静ヌマ → 1981.11.14 廃車 (静ヌマ)
本車は1941年、戦時体制下でサハ57047として日本車輛で製造されました。サハ57の大半は、一部が1933年に製造された後、戦時体制に入り通勤客が大幅に増加した1940年以降に製造されています。戦後は1947年には下十条にいて京浜東北線を担当していましたが、おそらく1950年前後の京浜線への63系集中配備で常磐線に移ったものと思われます。この後の経緯は55301と同様で、常磐線の運用合理化による分割併合運転の導入でクハ化されます。但し施行工場は55301とは異なり大井工場で改造されています。常磐線の新性能化で阪和線に移り、阪和線でも103系の増備で追われて身延線にやってきました。本車の転入で2扉ロングシート車の47153, 155 が身延線から飯田線に復帰します。そして身延線旧形国電終焉まで活躍しました。
なお、本車、および55301は幌枠が撤去されていました。しかし、常磐線の分割併合用でサハ57から改造され、貫通路が客用扉そのままだったクハ55の大半は、おそらく分割併合運転のためか、幌枠が残されていました*1。阪和線でも列車貫通のため幌枠があることが求められていたはずなので、どの時点で幌枠が撤去されたのかちょっと分かりません... と書いたところで、ネットを検索してみたら、以下のサイトで阪和線末期のクハ55319の写真を掲示されている方がおられました。見るとしっかり幌枠があります。ということは身延線転属で幌枠を撤去したということになります。阪和線時代は運転台左側の戸袋窓もHゴム化されず2段のままですが、右側の窓の形状は同じです。おそらくクハ55301も同様だったと推測されます。クハ改造時に設置されたと思われる運転台窓上の通風器はありますが、関西型通風器の設置はなかったようです。おそらく身延線転入時に運転台窓上前面通風器の撤去と同時に幌枠の撤去も行われたのでしょう。以下のサイトの阪和線時代の写真を見ると、全検からそれほど時間が経っていないように見えますので(写真撮影時は70年3月)、左窓のHゴム化も身延線転入後かもしれません。
blog.goo.ne.jp この撤去がまたまた変顔を強調することになったと思います。阪和線の写真を見る限りではそこまで違和感を思わせる表情ではありません。
身延線でのこの改造の理由ですが、前面扉に関して客用引き戸をそのまま残したため、隙間風の入り込み量が多く、乗務員から寒いという苦情がくるからということではないでしょうか。そもそもかつて関東の国電 (横須賀線を除く) で、1951年の桜木町事件まで、客に使用させないため幌のなかった後位貫通路が引き戸でなく開き戸だったのも、製造コストに加え、幌がない場合引き戸だと隙間風防止が困難だったためと推測されます。従って、本車については、関西より寒い身延線に転出するにあたって、貫通路の引き戸を開き戸に改造することこそしなかったものの、完全に締め切りとして隙間風を防ぐとともに、前面通風器も撤去し、そしてもはや使わない幌枠も撤去した、というあたりではないでしょうか。
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*1:なお、製造当初は、関東では横須賀線を除き貫通路は客用に供用されていませんでしたので、幌もなく開き戸扉でした。1951年の桜木町事故以後の更新修繕で、事故時の乗客避難路の確保という安全上の理由から貫通路を客用に供用することになり、貫通路扉が引き戸に改造されるとともに、幌、幌枠の設置が行われました。このため関東の戦前型旧形国電で運転台側以外の客用貫通路扉にオリジナルの木製ドアが残っているケースは皆無に近く、ほぼ100%プレスドアになっていたと思います。おそらくその唯一の例外がクモハユニ44803です。一方関西の車輛では結構木製貫通路扉が残っているケースがありました。