省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

仙石線経由で入ってきた信越線クハ68052 (蔵出し画像)

 さてこちらは主として信越線で使用されたクハ68で、元々クハ68として製造された原形クハ68グループの1輌です。信越線で、クハ76の不足を補うため、70系とともに使われたクハ68は、中央西線経由で入った車両が多かったのですが、本車はクハ68090とともに仙石線経由でやや遅れて信越線に入りました。このため両支持タイプの幌ではなく、京阪神緩行線仙石線時代のまま片支持形の幌枠をつけており、幌も撤去されています。

 クハ68の原形タイプは全車偶数車でしたが、本車は不足している70系奇数制御車を補うために、信越線入線時に方向転換を行い、同時に3栓式ジャンパ栓に交換されています。奇数に方向転換されていたため、68090とは異なり、信越線70系引退まで永らえることができました。

クハ68052 (長モト) 1977.7 松本運転所

 仙石線入線時に関東タイプの大型の前サボ受けが設置されたはずですが撤去された跡が見られます。助士席側の窓は2段窓のまま残されていました。なお、側面の列車種別サボ受けが撤去されていますが、おそらく仙石線入線時に郡山工場で撤去されたものと推定されます。行先サボ受けは長野入線時に設置されたと思われます。

 なおヘッドライトの取り付け位置が微妙に他車に比べて高いようです。

クハ68052 (長モト) 1977.7 長野

本車の車歴です。

1937.7.15 川崎車輌製造 (クハ68016) → 1937.7.26 使用開始 大ミハ → 1937.10 大アカ → 1944.10.29 改造 吹田工 (クハ55130) → 1948.11.30 座席整備 → 1953.6 改番 (クハ68052) → 1958.2.6 更新修繕I 吹田工 → 1969.8.11 仙セキ (→ 1971.4.1 仙リハ) → 1971.8.21 長ナノ → 1974.12.17 長モト → 1978.1.17 廃車 (長モト)

 本車は1937年に川崎車輌で クハ68016 として製造されました。なおクハ68は製造時は全車偶数車でした。最初は宮原区に配備されましたが、明石区の開設で、すぐに原則急行運用に就かない51系は全車そちらに移動します。その後は、戦時中に座席撤去でクハ55に編入されることもありましたが、32年間の長きにわたって明石区に在籍しました。しかし、万博を控えて京阪神緩行線に一部103系が投入されることとなり、1969年に関東を飛び越え、遥か北の仙石線に行きます。気動車色で活躍していた17m級国電の置き換え、ならびに仙台ー石巻間快速用として転用するためです。そして装いも新たに山手線と同じ鶯色での登場でした。

 しかし、仙石線・仙台口の朝の通勤ラッシュの混雑状況は首都圏並みで、3扉セミクロス車は乗降遅延、ダイヤ遅延をもたらすことになります。このため、3扉クロスシート車を減らし、運用も極力、快速運用に絞ることとなり、4扉73系を増車との方針となります。そのため、本車は、転用2年で信越線に転出することになりました。

 信越線では基本偶数車はクハ76で揃えられ、不足する奇数車にクハ68が充てられていましたので、偶数車だった本車はここで方向転換と、横須賀線70系由来のジャンパケーブル3線化改造を受け、残る余生を主として信越線柏崎ー長野ー軽井沢間の往復で過ごしました。なお車両基地は松本でしたが、篠ノ井線の運用は松本入出区のため夜間1往復のみの設定となっていました。