省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

信越線ではあまり活躍できず仕舞いで終わった クハ68090 (蔵出し画像)

 本日ご紹介する旧形国電は、松本運転所にいたクハ68090です。本車は仙石線の快速用として使われていましたが、仙石線では1975年にセミクロス車の使用が停止となり、それによって本車はモハ70とともに仙石線から信越線に移ってきた車輛です。

 当時信越線では奇数側の制御車はクハ68に、偶数側はクハ76に統一されていました。しかし、クハ76の不足から本車のみは松本運転所唯一の偶数側のクハ68として配備されました。しかし、それにはいささか問題がありました。というのは信越線用のクハ68はすべて便所なし車、それにたいしてクハ76は便所設置車となっていました。ところが本車は便所がありません。ということは、必然的に本車を連結した編成は便所がないということになってしまいます。それでも2連8両で運用されているときならまだ良いのですが、単独編成で運用されているときは編成中に1カ所も便所がないことになり乗客に不便を強いることになります。というわけで本車はもっぱら予備車として使われ、クハ76が検査で足りない時だけ駆り出されるという使い方になってしまいました。

 結局その不便から、長岡区から便所付きのクハ68200が押し出されてやってくると、より車令の高い68200 (元クハ47002) に道を譲ることになり、信越線の70系運用廃止前に廃車になってしまいました。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 運転台のHゴムと関西型通風器で、関西出身であることが分かります。運転台窓下に設置された手すりは、仙石線仕様です。但しスノープロウは信越線仕様です。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 ご覧のように仙石線向きに押込み式ベンチレータに改造されていました。美しいノーシルノーヘッダーのクハ55を改造した車輛です。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 2-4位側です。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 運転台。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 3-4位側連結面です。全検施行工場は仙石線時代に受けた1974年11月郡山工場のままとなっています。結局長野工場で全検を受ける前、全検切れに合わせて廃車となってしまいました。しかし、長野工場で信越線仕様に改造する際に、スカ色に塗り替えらています。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 川崎車両の製造銘板(昭和15年)と、更新修繕を担当した吹田工場(昭和32年)の銘板が見えます。ジャンパ栓受けは3栓に改造されています。そのため、ジャンパ栓受け台に取り付けられています。ただし、信越線で使われた70系の多くは横須賀線中央西線を経由して長野に入っており、横須賀線由来の両支持形のほろを備えていました。しかし、ジャンパ栓とは異なり、幌は京阪神緩行線仙石線以来の片支持式のままでした。おそらくモハ70とつなぐ際は、長さを延長するための幌を噛ましていたものと思われます。この面からも本車が予備車的扱いだったことがわかります。

 また車端下部に標識を掛ける金具が見えます。これは運転台側にもありましたが、これも仙石線の特徴で、郡山工場入出場の際は、途中が交流区間のため必ず機関車に牽引されて入出場していましたので、回送列車末尾に来たときに標識を掛けるための金具だと思われます。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

 床下です。

クハ68090 (長モト) 1976.10 松本運転所

本車の車歴です。

1940.7.27 川崎車両製造 (クハ55068) → 1940.8.9 使用開始 大ヨト → 1943.12.28 座席撤去 → 1948.12.23 座席整備 → 1950.11.15 大ミハ → 1953.6.1 改番 (クハ68090) → 1954.3.21 大アカ → 1957.12.20 更新修繕I 吹田工 → 1969.8.30 仙セキ → 1971.4.1 仙リハ (仙石線管理所→陸前原ノ町電車区へ改称) → 1975.2.21 長モト → 1976.11.10 廃車 (長モト)

 本車は 1940年川崎車輌にて城東・片町線用として製造されました。関西出身にしては、側面の急行表示用サボが見当たりませんが、それはそのせいなのか、それとも後に撤去されたのか...? しかし、1950年に宮原区に移り京阪神緩行線用に転じ、そのままセミクロス化されてクハ68に改番されました。その後明石区に移り、1969年の103系投入によって仙石線快速用として転用されます。本車は仙石線からのセミクロス車撤退まで居残ったのち、信越線に転じその後の事情は上記の通りです。そして全検切れとともに廃車となりました。

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なお、以下に仙石線時代の写真をアップされた方がおられました。

homepage3-nif-nomnom.la.coocan.jp

 また松本運転所転入直後の、まだ未改造、鶯色の状態の写真をアップされている方もおられました。

blog.goo.ne.jp