身延線戦前型旧型国電 (1975-81) の未紹介の車両も、本車を含め、後残すこと2両となりました。
こちらはクハ47のトップナンバークハ47001です。32系のトップナンバーは改造されたり、改番されたりで、元の番号のまま残った車両はほとんどないのですが、本車のみが唯一元来の番号を最後まで維持したトップナンバー車でした。
身延線にいたクハ47の原形車は、ほとんどワイパーが、運転席側、助士席側の両方に設置されていましたが、本車はなぜか改造車と同じく、運転席側の1台しかありません。また、客室扉脇に、快速運転時代に使われた静鉄特有の列車種別表示サボ受けがあります。前面には快速表示器がありませんが、そちらは後年撤去されたものと思われます*1。おそらく原形クハ47全車(+47051)に快速表示器が設置されていたものと思われます。
富士電車区が東海道本線ローカル運用も担当していた時代は、このサボ受けを設置されていた車両は主として身延線(および快速運用)に用いられる一方、東海道ローカルはサボ受けが設置されていなかったロングシート車のクハ47を中心に運用されていたものと思われます。同様の区別はクモハ14にもあったと思われ、低屋根のクモハ14の一部にのみ同様のサボ受けが設置されていて主として身延線用に用いられ、高屋根のクモハ14は東海道線用でサボ受けはなく、また残りの低屋根のクモハ14は、東海道、身延ローカル共用だったと思われます。
なお、上の3枚の写真は、1980年以前に撮影、以下4枚の写真は1981年に撮っていますが、乗務員室扉の形状が変わっています。最後の全検で乗務員室扉が変更されています。
本車の車歴です。
日本車輛製造 (47001) → 1931.2.24 使用開始 東チタ → 1950 更新修繕I 大宮工機部 → (1951頃) 静フシ → 1958 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.11.14 廃車 (静ヌマ)
本車は横須賀線用32系クハ47として製造されました。横須賀線は当初基本編成が、McTTsMc もしくは McTTsTMcの4もしくは5両で、クハ47は付属編成用、TcMcで使われました。そのため全車が偶数向きで、基本的には中間に挟まれて使用されたようです。1950年に関西からモハ42, 43一党が上京してくると、70系の投入を待たず、その秋頃から32系の都落ちが始まり、翌年70系が配備されるとますます都落ちが進みます。本車はモハ32地方転出で不足する制御車として共に比較的早い段階で身延線に転出していったと考えられます。身延線快速運転時代は、後年まで快速列車の種別表示サボが残っていたことから、東海道ローカル運用よりも、身延線運用に重点的に充てられたことがうかがえます。これはクハ47原形車に共通して言えることです。
そのまま、1981年の身延線旧形国電終焉まで、身延線にて活躍しました。
----------------
*1:実際にネットを探してみたら、1962年の47001の写真に快速表示器のある写真がありました。以下のページにあります。ワイパーもこの当時は2台あったようです。