こちらは身延線の原型クハ47としてはオーソドックスだったクハ47005で、006との見分けが困難だった車両です。この車は比較的良好な条件で、何枚も写真を撮る機会がありました。
本車の車歴です。
日本車輌製造 1931.3.25 使用開始 東チタ → (1947.3 東マト) → 1950 更新修繕I 大宮工機部 → (1951頃?) 静フシ → 1955.1.22 貸与 静トヨ → 1955.12 返却 静フシ → 1958 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.11.27 廃車 (静ヌマ)
32系のクハ47は、横須賀線→身延線という比較的シンプルな車歴の車が多い中で、本車はややバラエティのある経歴でした。1931年3月に横須賀線で使用開始になっていますが、終戦後1947年には常磐線にいます。戦時中に疎開の意味で転出していたのではないかと思われます。その後、横須賀線に復帰することがあったのかどうかは不明ですが、1950年に大宮で更新修繕Iを受けていますので、それを機に復帰した可能性は高いのではないかと思います。1951年頃(遅くとも52年の早い時期までに)、70系の投入を受け、モハ32とともに身延線に移ります。その後1955年に一時飯田線に貸与されていたことがありました。
1958年の浜松工場豊川分工場で施行された更新修繕II で、前面雨樋の曲線化、Hゴム化などが施行され、典型的な身延線のクハ47スタイルとなりました。そして、1969年の身延線車両の沼津移管を経て、1981年の身延線の新性能化まで、身延線を走り続けました。
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