省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

常磐線、飯田線で使われた経歴のあった 身延線のクハ47005

 こちらは身延線の原型クハ47としてはオーソドックスだったクハ47005で、006との見分けが困難だった車両です。この車は比較的良好な条件で、何枚も写真を撮る機会がありました。

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クハ47005 (静ヌマ) 1981 富士電車区

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クハ47005 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

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クハ47005 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

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クハ47005 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

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クハ47005 (静ヌマ) 1981 富士電車区

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クハ47005 (静ヌマ) 1981.8 身延駅

本車の車歴です。

日本車輌製造 1931.3.25 使用開始 東チタ → (1947.3 東マト) → 1950 更新修繕I 大宮工機部 → (1951頃?) 静フシ →  1955.1.22 貸与 静トヨ → 1955.12  返却 静フシ → 1958 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.11.27 廃車 (静ヌマ)

 32系のクハ47は、横須賀線身延線という比較的シンプルな車歴の車が多い中で、本車はややバラエティのある経歴でした。1931年3月に横須賀線で使用開始になっていますが、終戦後1947年には常磐線にいます。戦時中に疎開の意味で転出していたのではないかと思われます。その後、横須賀線に復帰することがあったのかどうかは不明ですが、1950年に大宮で更新修繕Iを受けていますので、それを機に復帰した可能性は高いのではないかと思います。1951年頃(遅くとも52年の早い時期までに)、70系の投入を受け、モハ32とともに身延線に移ります。その後1955年に一時飯田線に貸与されていたことがありました。

 1958年の浜松工場豊川分工場で施行された更新修繕II で、前面雨樋の曲線化、Hゴム化などが施行され、典型的な身延線のクハ47スタイルとなりました。そして、1969年の身延線車両の沼津移管を経て、1981年の身延線の新性能化まで、身延線を走り続けました。

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