省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

数少ないノーシルノーヘッダー車だった 身延線 クハ55441 (蔵出し画像)

 こちらはクモハ60800とともに身延線旧形国電末期では数少ないノーシルノーヘッダー車だったクハ55441です。身延線では1970年代初めにはこれ以外に、ノーシルノーヘッダー車は、流電の中間車をクハ化したクハ47や、合いの子クモハ43810などが在籍しましたが、1975年3月までに他線区へ転出、最後はこの2両のみでした。

 身延線のクハ55はいずれもサハ57から改造された平妻車のみで、本車もその例外ではなく、元は1939年度に製作されたサハ57014でした。クモハ60800と連結されればノーシルノーヘッダーで揃ったはずですが、見かけませんでした。単純にたまたま出会わなかっただけかもしれませんが、おそらく、ロングシート車で揃えないような運用上の配慮があったのではないかと思います。

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クハ55441 (静ヌマ) 1977.9 富士電車区

 正面の塗分けがちょっと独特で、正面サボ受けの内側のみがクリーム色になっていました。

クハ55441 (静ヌマ) 1981.7 富士駅

 

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クハ55441 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

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クハ55441 (静ヌマ) 1981 富士電車区

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富士駅へ進入するクハ55441以下 1981

本車の車歴です。

日本車輛製造 (57014) 1940.4.30 使用開始 東鉄配置 ※※→  (1947.3現在 東イケ) → 1950.2 更新修繕I 大宮工機部 → 1951.3.25 東マト → 1956 更新修繕II  大宮工 → 1956.11.13 東シナ → 1961.1.31 ※改造 大宮工 (55323) 東シナ → 1962.3.21 静フシ  → 1963.10.19 東ミツ → 1966.3.21 静フシ → 1968.12.19 改造 改番 (55441) → 1969.4.11 静ヌマ → 1982.2.26 廃車 (静ヌマ)

※旧形国電台帳では1961.2.4とあり

※※『旧形国電ガイド』では初期配置東チタとあるが東イケの誤りである可能性あり

 本車は1940年にサハ57014として製造されました。1939年度に製造されたモハ60等の40系車両は準戦時設計とされノーシルノーヘッダー、張り上げ屋根のスッキリした洗練された姿となりました。1940年度以降はさらに準戦時設計が進み屋根が木造化され、紙ル・ヘッダー付きの平凡な姿に戻ってしまいます 。国家総動員体制が施行され、通勤客が急増したためサハ57も7年ぶりに製造されます。1947年現在では山手線にいましたので、おそらく配置以来山手線で使われたのではないでしょうか。

 そして、50年頃の山手線の20m4扉車+17m車統一で(おそらく更新修繕を機に)、多くの40系と同様常磐線に移ります。しかし多分1956年の更新修繕IIを機に再び山手線に舞い戻り、1962年まで使われますが、103系の投入を受けて、身延線に転出します。なお、『国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編』によりますと、トイレ設置工事は、この時に実施したようです。その後の経緯は、クハ55321(→55440)と軌を一にし、再度首都圏への帰還(おそらくトイレ付きのため中央東線で使用されたと思われます)、再度身延線の転入を経てWC付のため再改番されます。トイレ設置工事施行工場は原資料(『旧形国電台帳』)では不明ですが、Wikipediaの情報ですと1963年に施行されたとありますので、それが正しいとすれば、静鉄配置ですので豊川分工場だった可能性が高いです。富士区再転入後は16年間身延線を走り続けました。