中央東線 211系 日常の記録、今回はクモハ211-1007他です。本車はもともと高崎線用のセミクロス車として製造されたグループです。もともと耐寒耐雪設備を備え、ドアボタンも当初から設置されていました。高崎線では当時211系に関しては、5両編成が基本で、それをベースに、モノクラスの10~15両の編成を組んでいました。最初に高崎線に投入されたグループでは、セミクロスシート車対ロングシート車の比は1:2 で、東海道線では基本編成がセミクロス、付属編成がロングでしたが、高崎線系等ではロングシートの比率の方が高くなっていました。これは当時大宮ー上野間が東北線と共用で列車の増発余地がなく、朝夕のラッシュの混雑が東海道線よりも深刻だったためです。
その意味で、セミクロスシート車である本車は貴重な存在です。
本編成の車歴です。
1986.3.12 川崎重工製造 (高シマ) → 2005.12.10 高タカ → 2014.3 長ナノ → 現在に至る
もともとは高崎線用として民営化前年製造され、当時の新前橋電車区に配備されました。当初は5両編成で、サハ211-1013 と 1014 を挟んだ McMTTTc 編成でした。しかし、JR東日本の 4扉化車 E231系の配備で2012年9月運用を離脱、2013.5.29 に長野総合車両センターへ入場となり、そこでサハを撤去して廃車の道へ、残りは他線区への転用を考慮して一旦、6.12に北長野駅にで休車待機となりました。1年半後、中央東線への活用が決まり、2014.2.5にいったん整備のため大宮総合車輛センターへ移動、そして2014年3月31日に長野車輛センターに転属します。しかし、直ちに運用されることはなく、2014.7.17には、豊田車セ武蔵小金井派出に疎開します。
そして、2014.12.4-5 に八トタの115系の運用を置き換える形で運用に入ります。当初は八トタの運用に長ナノへの入出場を加えた首都圏中心の運用に限定されて使われており、車内の路線図表示も長野管内のものではなく、首都圏のものが掲示されていますが、現在では必ずしも首都圏中心の運用に限定されなくなりました。