省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元東急、前身はなんと院電だった 上田交通 モハ3310

 上田交通は、1958年から東急グループ入りしていたようですが、車両の方は長年東急から譲渡を受けることはありませんでした。本車は2番目に東急から譲渡された車両のようです。最後まで東急時代そのままグリーンに塗られていました。形式は、東急時代はデハ3310と称していたようです。

デハ3310 上田原

デハ3310 1986.9 上田原電車区

デハ3310 1986.9 上田原電車区

 Wikipediaの情報によると、本車はもともと木造車の鋼体化車輛で、前身は目黒蒲田電鉄モハ30形モハ33だったようです。さらに言うとその前身は院電モハ6313だったらしいです。院電時代は、中央線・山手線で使われたようです。従って車歴としては...

1915 鉄道院新橋工場製造 (モハ6313) → 1925 池上電気鉄道デハ23 →  1934 目黒蒲田電鉄モハ33 → 1940 改造 (鋼体化) モハ160 → 1942 東京急行電鉄デハ3310 → 1955 改造 (片運化) → 1975.3.27 廃車 → 1975.12.26 上田交通貸与 → 1979.3.9 上田交通譲渡 → 1986.10.1 廃車

となるようです。当初東急貸与の形で上田交通に入り、そのまま譲渡となったため、形式名はそのままデハ3300形となったようです。緑色の塗装が維持されたのもそのためでしょう。正式譲渡後両運化されたようですが、単行で運行されることはまれで、クハを従えて2両で朝1往復あった上田-中塩田間の区間運転にのみ使用されたそうです。なお、写真を見ると、後ろの方の運転台には乗務員扉がありません。後ろの運転台は、常用されることが想定されていたのではなく、あくまでピンチヒッターとして単行運用に駆り出されたときのみ使用することが想定されていたものと思われます。私が撮影した時も上田原電車区で寝ている姿でした。朝区間運転1往復のためだけに車両を導入とは非常に非効率ですが、おそらく車輛が老朽化し、故障車が頻繁に出ていたため、その危険分散のためだったのではないかと思われます。

 なお、ネットの情報では本車は非力なのでトレーラーを率いると中塩田別所温泉間の急坂が登れなかったので、2両で走るときは上田-中塩田間に限定されていたということも書かれていましたが、さもありなんです。

 本車は木造車の鋼体化車であり、そのため車体長が他車より短く東急では早めに引退したようです。とは言え、木造車時代を考えると、なんと71年間使われたことになります。