省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

ヘッドライトが埋め込み式だった新潟地区で活躍した クハ68084 (蔵出し画像)

 本車は新潟地区で活躍した元クハ55のクハ68です。ちょっと分かりにくいかもしれませんが、前照灯 250W 化後も、一応埋め込みヘッドライトが維持されていた車輛です。おそらく新潟地区のクハ68の中では唯一の存在だったかと思われます。

 1962年の新潟地区電車化で最初にやってきた10輌の中の一輌です。Hゴム化もされず比較的原形に近い姿をとどめていた車輛です。

クハ68084 (新ナカ) 1976.8 長岡

クハ68084 (新ナカ) 1976.8 長岡運転所

 

本車の車歴です。

1938.12.17 川崎車輛製造 (クハ55063) → 1939.1.17 大ヨト → 1943.12.22 座席撤去 → 1948.11 座席整備 → 1950.11.14 大ミハ → 1953.6.1 改番 (クハ68084) → 1956.2.25 更新修繕 I 吹田工 → 1956.3.1 大タツ → 1962.4.27 新ナカニ → 1967.11.15 新ナカ → 1976.10.7 新ナカ

 本車は元々城東線用の40系増備車として川崎車輌で製造されました。しかし 1950年 宮原区に移ります。これは、1950年に京阪神緩行線セミクロスシート復活方針が打ち出されたため、宮原区にいた クハ58を4扉化したクハ85(初代) 並びにモハ42, 43 を4扉化したモハ64などを一斉に城東線用として淀川区に転属させ、それと交代で、淀川区にいた 3扉車を宮原区に移したためです。この結果、城東線の車輛はモハ63などと合わせて原則 4扉車に統一されました。そして京阪神緩行線用の3扉車は一斉にセミクロスシート化され、1953年の改番でクハ68に編入されました。このような経緯があるため、元々大阪地区に配備されたロングシート40系の多くは、一部片町線用として淀川区に残されたもの、および阪和線の補充用として転用されたものを除いては、51系に編入され、原形で残ったものが少なかったのです。

 従って1950年代は京阪神緩行線セミクロスシート車、急行線 (現快速)は80系 (一部クハ68 + モハ70) で揃っていました。後にモハ70が横須賀線の車両不足で取られたり、地方線区の電化開業や17m車淘汰で京阪神緩行線セミクロス車が取られ、その跡を埋めたのが、関東への新性能車導入により余剰になった73系 (一部新製投入) でしたので、編成美は崩れてしまったのですが...

 その後新潟地区の電車化により、関西からの第1陣として当時の長岡第二機関区に転属しました。このため H ゴム化された箇所は一カ所もないきれいな姿を保っていました。長岡転属後は、運行灯があった場所にタイフォンカバーが設置され、スノープロウが取り付けられて豪雪地帯の輸送に14年間活躍しましたが、115系の投入で、1976年秋に引退し、廃車となりました。