省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元国鉄飯田線クモハ14009 の富士急 モハ7032

 こちらは富士急行のモハ7032です。本車は元々横須賀線用モハ32031(のちクモハ14009)であり、いわば日本の長距離電車の始祖に当たる車輛でした。撮影時は既に国鉄には元モハ32はなく、富士急行線に残った2輌が最後の活躍を続けている状態でした。当線に来る前は飯田線で活躍していました。

富士急 モハ7032 (元国鉄クモハ14009) 1981 河口湖駅

 上の写真は既に、真っ黄色に変色した黄変写真の補正サンプルとしてお見せした写真です。1957年に更新修繕を受けているために前面樋の曲線化、運転台窓のHゴム化施行を受けており、典型的な当時の静鉄更新修繕II 施行車の形態を見せています。

富士急 モハ7032 (元国鉄クモハ14009) 1981 河口湖駅

 以下の写真は1982.11運用離脱後、河口湖に留置されている写真です。

富士急 モハ7032 (元国鉄クモハ14009) 河口湖駅

 上とは反対サイドで、電気側です。元々本車は奇数向きでしたが、飯田線転出の際に、静岡局の当時の方針に従い、偶数向きに配転されているはずです。さらに豊川分工場で更新修繕II を受けた際、海側に電気機器が来ないようにするため、床下機器の全面配転工事を受けています。元々関東では機器配置の海側山側を気にしていませんでしたが、80系の登場以降、80系が海岸沿いを長距離走ることから、機器配置の方向を気にするようになり、更新修繕II以降、電気機器が海側に来てしまう偶数車に対して全面的に機器配置の配転工事が行われました。

 このため、元モハ32で機器配置がオリジナル通りの車輛はなくなってしまいました。

富士急 モハ7032 (元国鉄クモハ14009) 河口湖駅

富士急 モハ7032 (元国鉄クモハ14009)

本車の車歴です。

 横須賀線のモハ32グループは、1953年の番号整理だけではなく、一部車輛の低屋根化に伴い1959年に再度番号整理が行われているため、非常に分かりにくくなっています。

1931.5.6 汽車会社東京支店製造 (モハ32031) 東チタ → (1947.3.1現在) 東マト → (東チタへ復帰?) → 1950 更新修繕I 大井工機部 → (1952頃?) 静トヨ → 1953.6.1 改番 (モハ14031) → (1954.12.1現在 静トヨ) → 1957.4 静ママ  →  1957.10 更新修繕II 豊川分工 → 1959.12.22 改番 (クモハ14009) → 1969.6.12 廃車 (静ママ) → 富士急行 (モハ7032) → 1983 廃車

 車歴データは沢柳、高砂編『旧型国電車両台帳―決定版』,「わが心の飯田線」サイト、当時の『鉄道ピクトリアル』誌の車輛の動き欄、『終戦直後東京の電車 昭和20年代の鉄道風景 浦原利穂写真集』を参照しています。

 本車は1931年、横須賀線用の省線(国鉄)初の長距離電車として、汽車会社東京支店において製造されました。戦後、1947年の東鉄電車配置では松戸区にいますが、横須賀線の一部車輛は疎開のため移動があったようなので、おそらく空襲が本格化した1945年頃に松戸に移ったものと思われます。その後手元の資料でははっきり確認できませんが、おそらくいったん横須賀線にもどり、70系の投入で1952年頃飯田線に移ったものと推定されます。そして1953年の番号整理で、17m車であった本車はモハ14に改番されます。但しこの時改番では個別車番はモハ32時代の番号を踏襲していました。

 なお、1954年の電車配置を見ると、モハ14は番号順に富士区→豊橋区→伊那松島区→中部天竜支区の順に整理されていますが、1952年の身延線の配置を見ると必ずしも整理されていたわけではないようです。ただ、おおむね番号が早い順から順次地方に転出していたようなので、おそらく本車の転出はやや遅めの1952年頃であったものと推定されます。

 1956年には1200Vであった飯田線北部が1500Vに昇圧、さらに57年には20m電動車が転入し快速運転が始まると、本車は伊那松島区に移動します。そのまま1969年の廃車まで伊那松島区で活躍しました。

 廃車後は幸い富士急行に譲渡され、モハ7000形 モハ7032 と改番され、1982年11月まで活躍しましたが、元小田急2200のモハ5700の入線により廃車となりました。富士急入線の際、パンタグラフのPS-13からPS-16への換装、アルミサッシへの交換、内部のペイント塗化、モケットの交換 (青 → 赤紫へ) が行われています。

 因みに Wikipedia の記述によると、7000形という形式番号は、1970年に使用開始されたためだそうですが、元小田急2200 は昭和57年で5700形となっており、よく分かりません。昭和45年で 4500形とすると、4 が入るので縁起が悪いと思われたのでしょうか。

 なお、本車は日本の長距離電車の始祖であり、本来は鉄道記念物級の車輛だったはずですが、保存されることなく解体されてしまいました。非常に残念です。