省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

鉄道の現場力が落ちている... ?

 JR東日本の忘れ物検索システムが優秀です。最近はチャットシステムも導入されているようで、こちらはまだ使ったことはありませんが、とにかく忘れ物センターに電話すると、忘れ物が届けられてさえいれば、かなりの確率で見つかります。最近のJR東日本の通勤電車は、伊東から前橋や宇都宮、あるいは久里浜から上総一ノ宮や木更津まで長距離を通しで運行されていますので、東京駅付近で忘れていたとしても、どこでその忘れ物が預かられているか見当もつきません。多くの忘れ物は、その電車が運用を終了して、車両基地や電留線に引き上げる際の車内点検で発見されますので、車両基地近くや遠方の終着駅などで預かられることになります。そのためにもこのような中央集中型の忘れ物検索システムは必要と言えます。

 その一方で気になることもあります。私も忘れ物をしたことがありますが、ちょうどその時、私が下りた駅は、乗っていた電車が運用を終えて引き上げる駅でしたので、その駅に忘れ物がある筈だろうと思って、翌朝直接駅の忘れ物窓口に行ったことがあります。ところが届いていないというのです。電車の中で忘れたのではなかったかもしれないと心当たりの場所を何か所か探してみましたが、見つかりません。もしやと思って2,3日後に忘れ物センターに電話すると、最初に私が預けられているだろうと思って尋ねた駅に保管されているというのです。そこで、センターにいつごろその駅に取りに行くということを伝えて、無事忘れ物を回収することができました。

 そういうことが2度ほどあって、それからは現地に直接に行かず、かならず忘れ物センターに電話してから忘れ物を取りに行くようにしています。

 ただそれは、現場よりも中央の方が確実な情報を持っていて、逆に現場では情報不足という状況が生まれているということです。それってどうなのか、つまり鉄道の現場力が落ちているということなのではないか、とそれ以来気になっていました。

 何でこんなことを思い出したかというと、Twitter で流れていた以下のビデオを見たからでした。

ABC テレビニュース:【JR西日本にいま何が・・・】重大トラブルに疑念膨らます遺族 現役社員が語る裏側 乗客106人死亡の福知山線脱線事故から18年

www.youtube.com このビデオで報道されていることは、しばらく前、大雪でJR西日本の通勤電車で乗客が十数時間以上缶詰めになってしまったという事態がなぜ起こってしまったかという検証報道です。結局結論としては、すべての運行判断権限が列車運行指令センターに集中しているにもかかわらず、運行指令センターに勤務している人の人数が非常に少なく、情報処理しきれなくなりあのような事態を招いた、ということです。

 そのうち、運行指令センターが Chat GPT にどうしたら良いのでしょうかとお伺いを立てることでこのような事態は解決されるのかもしれません。笑い話ではなく。

 とはいえ、これらから推測できることは、現代の鉄道の運行システムが非常に中央集中型、中央集権型になっていて現場力が落ちているということではないかとおもいます。

 例えば、列車で何かトラブルがあると列車防護無線の信号が発信されます。列車防護無線自体は、1962年の三河島事故を契機に導入され、既に非常に長い歴史を持っています。しかし、今の JR (少なくとも JR 東日本) では列車防護無線の信号が発信されると、自動的にその周辺のかなり広範囲の列車の運行が自動的に停止されます。もちろんこの範囲の中には、直接影響のない線区も含まれる可能性があります。そして仮に影響のない線区があったとしても、運行が再開されるまで結構時間がかかります。国鉄時代だと、運行に影響がないと判断された線区に関する運行の再開はもっと短時間で行われたように思います。

 おそらく国鉄時代では、現場での判断裁量がある程度認められていたのに対し、今日の鉄道運行システムでは、機械システム化され、現場の判断で運行を再開するということが困難になっているのでしょう。またそのような現場判断力もなくなっているのではないかと思います。国鉄時代の驚異的な列車遅延の少なさも過去のものとなりました。

 JR西日本の大雪対応についても、運行指令が、大雪前日にはポイント融雪機作動基準を下回っていたために作動を見送ったと報道されますが、おそらく国鉄時代であれば、現場労働者の判断で、例え作動基準を下回ったとしても、現場の状況を見て融雪機を作動させるというような裁量が与えられていたのではないかと思います。そしてかつての国鉄はそのような膨大な現場のノウハウの蓄積があって、列車の運行が支えられていたのではないかと思います。それらのノウハウの中には、先日 (2023.3.10放映) NHKの番組『チコちゃんに叱られる』に紹介されていた車掌のアナウンス技術のように、必ずしも当局が把握していないものも多かったのではないかと思われます。

 それが、尼崎事故の遠因となったといわれる、JR 西日本の運転手いじめのような日勤教育にみられるように、徹底的に現場の労働者から仕事上の裁量余地を取り上げて、中央の判断に従わせる (それは主に組合対策ということで行われたと思われますが) というシステム構築が行われた結果、このような事態になったのではないかと思います。

 ただ、現場で長年働いていると、現場の状況を見て、「これはまずいんじゃないの」というような「勘」が働く、ということがあると思います。しかし中央の指令室に詰めているスタッフにはそのようなものは伝わりません。結局数字だけで判断する、ということになってしまうと思います。さらに現場が中央の指令と異なる工夫をしたら懲罰処分が待っている、というのであれば、ますます現場は仕事のやりがいを持てなくなります。

 このように考えてくると、第2次大戦中に日米の戦闘機の設計思想の違いも思い起こされます。ゼロ戦は、防護設備をなるべく減らして軽量化しました。その結果、現場パイロットの技量が高ければ、その技量を発揮して自由自在に操縦することができ、敵戦闘機を撃破することができました。一方グラマンは防護設備を手厚くしていたために、鈍重で自由自在に飛び回ることができません。しかし、その分装備を充実させゼロ戦に対抗していきました。

 いわばゼロ戦は現場力、職人技に支えられていました。しかし、それにもかかわらず軍当局は現場のパイロットを大切にせず、消耗品のように扱ったため、技量の高いパイロットであっても次々に戦死し、補充した若い初年兵ではゼロ戦を自由自在に扱うことができなかったため、戦争末期にはグラマンの餌食になるしかありませんでした。一方グラマントップダウン型で運用され、パイロットの技量の及ばない部分は、戦闘機の設計の改良や、戦闘方法をマニュアル化し、それを中央からの指示の徹底化で伝えることで対抗しました。パイロットの技量が劣ってもシステムで対抗したと言えます。つまり現場の職人技に依存しなかったわけです。

 現場力に支えられながらも、当局が現場力を評価していなかった... というあたりは当時の日本軍と今日の鉄道会社に共通しているのかもしれません。そしてそれはひょっとすると、一般に今日の日本企業が競争力を落としている原因になっているのかもしれません*1

 とは言え、今の日本の多くの鉄道会社は、現場の職人技を当てにしない、いわばグラマン型の運行システムを構築することで対応しようとしているのではないかと思います。ヒューマンエラーのリスクを減らすという意味では、現場の職人技に依存しないというのは正解ではあるのですが...

*1:例えば、東芝は自前で育ててきた技術に地道に投資するよりも、外からウェスチングハウスを買ってくる、という経営判断をしました。自社の半導体などの自前技術は利益率が低いから、より利益率の高い事業をよそから買ってきたほうが良い、という判断だったと思います。当時流行りの (そして今も多くの人がその観念に取りつかれている)「選択と集中」の典型的なロジックです。それはとりもなおさず会社当局が現場の技術力の未来を評価していなかったということです。しかしその結末がどうなっているかは皆さん今ご覧になっている通りです。