省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線旧形国電最後の日まで走り続けた クモハユニ44802 (蔵出し画像)

 改めて写真を整理してみると、本車に関しては随分写真を撮っていました。もちろん身延線のスター、クモハユニ44なので、一所懸命写真を撮っていたこともありますが、ご縁も多い車だったと思います。本車は44801とともに旧形国電最終運行日まで運行についていた車両です。44800と803は、最終日には予備車として電車区で昼寝をしていました。

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.8 富士駅

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1980.3 富士電車区

 

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1977.5 富士駅

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

 旧形国電廃止が間近に迫っていた頃です。ファンサービスで車号の802を運行板に表示していました。因みに、当時富士区の運行番号表示ルールはよく分からず、運行番号を表示していたり、出区する列車番号を表示していたりしていました。このページの写真でも運行番号(2または3)を表示していたのもあれば、出区する列車番号(635)を表示しているものが混ざっています。

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.6 富士駅

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.6 富士駅

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1980.3 富士電車区

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1977.5 富士駅

 客室内です。座席の背もたれにはモケットが張ってあり、つかみ棒もステンレスになっている点が、44803と異なります。網棚も普通の網棚です。仕切りに掲示されている、国鉄路線図が懐かしいです。

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1977.5 富士駅
向こう側はクハ55301

 こちらは客室内、貫通路側。貫通路の向こうはクハ55301でした。貫通路扉は普通のプレスドアになっていました。ところで今気づきましたが、向こうのクハ55301の貫通路ドア、プレスドアではなく、木製ドアっぽいですね。

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1977.5

 荷物室内の天井です。垂木がむき出しになっています。中で作業する職員のためにしっかり扇風機が取り付けられています。こちらは客室側がニス塗りだったのとは異なり、天井も含めモスグリーンのペイント塗りつぶしになっていました。

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クモハユニ44802+クハ55301 1977.5 富士駅

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

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クモハユニ44802 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

クモハユニ44802以下 1981.4 十島

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クモハユニ44802以下 1981.4 十島

 十島駅に、向かい側からクモハユニ44802がやってきました。

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クモハユニ44802以下 1981.7 西富士宮-沼久保間 (安居山付近)

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クモハユニ44802以下 1981.8

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クモハユニ44802以下 1981.8

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クモハユニ44802以下 1981.8

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上の写真拡大

 上の写真を拡大したところですが、旧形国電末期だったので、ファンサービスとして運行番号表示板に車号の802を表示させて走っていました。

では本車の車歴です。

汽車会社東京支店製造 (モハユニ44004) → 1935.3.29 使用開始 東チタ → 1950 長キマ → 1950 更新修繕I 長野工 → 1956.7 静フシ → 1956.12 更新修繕II および改造 豊川分工 → 1959.6.1 改番 (クモハユニ44004) → 1959.12.22 改番 (クモハユニ44802) ※ → 1969.4.11 静ヌマ → 1982.1.21 廃車 (静ヌマ)

※『旧形国電ガイド』では改番日が1960.1.18

 本車は、1934年度に横須賀線用の郵便荷物合造車モハユニ44004として汽車会社東京支店にて製造されました。横須賀線は1930年に電車化され、当初はモハ30や31を首都圏から寄せ集めて運行されていましたが、1930年度から32系電車が製造され32年にかけて置き換えられましたが、郵便荷物合造車は置き換えられずモハ30を改造したモハユニ30 (30196, 30198, 30200, 30202, 30204) が引き続き使用されていました。しかし、それを置き換えるために登場したのが本形式です。車体長は20mとなり、形態としては43系になりました。43系グループでは唯一関西と縁のなかった形式となりました。なお、モハユニ30は本形式の投入後総武線に転じたようです。

 しかし、戦後海軍がなくなったことで郵便輸送量が大幅に減少。このため1946年横須賀向けの郵便輸送は自動車に任せることになり鉄道による郵便輸送が廃止、さらに、1948年度にモハ34を改造した荷電、モハ53(のちクモニ13)が落成することで、1949年に横須賀線の荷物輸送は旅客列車併結の荷物合造車ではなく、単独運行の専用荷物電車に任せることになり、モハユニ44は失職してしまいます*1。44003を奇数向きに方向転換して、44を2輌連結にして専用荷物列車として運行することも試みられたようですが、モハ32に先立って都落ちが決定してしまいます。結局本車は44003, 61001とともに大糸線に転じます*2。いつ転出したのか正確な日付は手元データにないのですが、1950年に北松本電車区(のち1965年松本運転所北松本支区に改称)に移り、同年長野工場で更新修繕Iを受けます。なお、61001は大糸線転出後、間もなく(1951〜2年頃)身延線に再転出します。

 一方、本車は1956年7月に44100(元モハユニ61001)と交換で富士区に転じます。おそらく半流の44100を低屋根化するのは美観的に難があるとされたためでしょう。この後本車は、44001, 002 とともに低屋根化され、その時に床下機器の電気側を山側に移設する工事も受けたものと思われます。

 なお、1956年当初、富士区の郵便荷物合造車として他に半流モハ41を荷物合造車に改造したモハニ41016がありましたが、44100と同様低屋根化されなかったモハニ41016は翌年伊那松島に転出し、元のモハ41に戻ります。しかし、1962年に新たにパンタグラフ部分のみ低屋根化する工事を受けてクモハ41800と改番されて身延線に戻ってきます。戻ってきたのは、1956年以前と同様クモハユニのバックアップとして考えられていたためかもしれません。

 因みに、大糸線に残った44003は、後に番号整理で44000と改番され、44100 (後に両運化で64000)とともに大糸線で活躍しますが、1968年に身延線に呼ばれ低屋根化されます(→44803)。残された64000が大糸線で孤軍奮闘することになりますが、それもつかの間、翌1969年、クモユニ81003の転入で岡山に転じることになります。なお、44000の身延線転出後は、クモハ12001が沼津区転出まで、大糸線の郵便荷物合造車の予備車として使われ、さらにクモハ12の転出後はクモハ40077が後継となったようです。

 それはともかく、本車は1959年の番号整理でクモハユニ44802に改番され、身延線旧形国電最終日の1981年8月31まで走り続けました。最後の運行はその日の2番運用 636Mで、ともに走った仲間は、55440, 60812, 68093 でした。おそらく乗客が多いことが予想されて、出力の大きいクモハ60とともに運用に入ったと思われます。ただし、本車はさよならヘッドマークは掲げられなかったと思います。

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yasuo-ssi.hatenablog.com

*1:国鉄電車のあゆみ−30系から80系まで』, 交友社, 1968 の記述より。

*2:『鉄道ピクトリアル』1953年2月号, 「大糸線−買収国電を探る(1)」の記述による。