身延線の主力だったクモハ51。本車、クモハ51802もかつての身延線の普通の電車の一両ですが、先日紹介した800と並んで正面の運転台窓がHゴム化されていなかった車両です。側面幕板のサボ受けも残っていましたが、行先表示幕表示器は撤去されていましたので800よりは原型度はやや落ちます。また正面通風器の通風孔が塞がれていた点で、51800と見分けがつきます。また前面に幌がしっかり備えられていた点も特徴です。半流の電動車の中で前面幌付きは1975年3月以降は本車が唯一でした。
富士駅での一枚。窓から垣間見える座席の色から客室内はモスグリーンに塗られていたことが垣間見えます。空気側が海寄りになっていますので、本車は元々偶数車だったことが分かります。
電気側側面です。因みにこの写真、黄変変色とスキャナによる過剰補正がありましたのでBチャンネル補正法と拙作の汎用色チャンネル再構成ツールを使って補正してあります。
3位側連結面が見えていますが、樋は丸樋のままです。残念ながら貫通路扉が見えていませんが、おそらく原形の木製貫通路扉が維持されていた可能性が高いです。また当車は関西向け偶数電動車として製造されましたので、当初から1-3位側が電気側でした。
そして抵抗器の位置が関東の機器配置を変更した偶数車とは異なり、運転台寄りにあります。これは、鉄道資料刊行会の『関西国電50年』の80ページにあるモハ64014(写真は1950年撮影、後のクモハ31)や71ページにある関西向けモハ63(1949年撮影)も同様ですし、また同書の24ページにモハ52002のスカートがある時代の電気側の写真もありますが、抵抗器用の放熱穴と思われるものが運転台寄りにありますので、おそらく当初からその配置ではなかったかと思います。
本車の車歴です。
1937.9.28 川崎車両製造 (51054) → 1937.10.10 使用開始 大ミハ → 1937.10 大アカ → 1944.6.30 座席撤去 → 1948.12.2 座席整備 → 1955.1.27 更新修繕 吹田工 → 1965.3.4 改造 浜松工 (静トヨ) → 1966.4.7 静フシ → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.9.12 廃車
本車はモハ51054として1937年に製造されました。一旦宮原区に配備されるもののすぐ明石区の開設でそちらに移ります。1965年一旦飯田線に配備となって、そこで低屋根化改造を受け、翌年身延線に移ります。なおクモハ14が廃車になるのは1969年からですので、本車が身延線に投入されたのは、クモハ14置き換え目的ではなかったと思われます。おそらく、同時期に転入したサハ45などと4両貫通編成を組ませる目的で転入し、幌も設置されたものと思われます。その後15年間を身延線で過ごしますが、115系の投入を受けて廃車となりました。
---------------------
マゼンタ被りの補正
-------------------