本車は、クモハ60の中では結構御縁のあった車両です。何度も撮影できる機会がありました。
2-4位側の客用扉は桟入りで揃っていました。なお通風器は防寒対策で通風孔が塞がれています。本車は御殿場線経由で身延線に入っていますので、おそらく御殿場線入線時代に撤去されたものと思われます。
1-3位側のドアはバラバラです。先頭側は桟入り、2番目は桟なしのプレスドア、3番目はプレスがありません。客用扉の見本市のようです。
本車の車歴です。
1942.5.8 日本車輛製造 (モハ60084) → 1942.5.15 使用開始※※ 東ミツ → 1945.8.16 東モセ → 1950.4.11 東マト → 1951.2 更新修繕I 大井工 → 1955.6.15 東イケ → 1956.4.12 東マト → 1967.12.26 静ヌマ → 1970.7.11 改造 浜松工 (クモハ60810) → 1981.12.19 廃車 (静ヌマ)
※※『旧形国電ガイド』で製造日とされている日付だがおそらく使用開始日
本車は1942年に日本車輛でモハ60084として製造されました。中央線に配備されましたが、敗戦の翌日、下十条に移ります。そして1950年、京浜東北線の4扉車統一で常磐線に転じたものと推定されます。その後一時的に池袋区に入りましたが、すぐ常磐線に復帰しました。池袋区は、1950年台前半に一旦17m車と20m4扉車に統一されますが、なぜか50年台後半になって再び20m3扉車が転入してきます。更新修繕のためのピンチヒッターだったのか、あるいは赤羽線運用が17m車から20m車に変わったというようなことだったのかもしれません。
そして、常磐線の103系の投入開始でついにスカ色に塗られて東京を都落ちして御殿場線に転じます。なお、別の方がネットにアップした写真を見ると、御殿場線時代に既に客室内部がモスグリーンにペイント塗されていたようです。そして、身延線クモハ14淘汰の方針を受け、低屋根化されて身延線に転じ、最後の11年間を身延線で過ごしました。
なお、本車は偶数車でしたので、更新修繕の際、床下の電気機器を山側に移設する工事を受けています。
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