省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

客室内のニス塗りが維持されていた信越線のクハ68056 (蔵出し画像)

 本車も信越線で使用された原形クハ68で、元番号はクハ68019でした。本車に関しては、関西から中央西線電化で名古屋地区に移り、さらに 73系の転入で信越線長野地区に移った車両ですが、名古屋地区のクハ68の多くが客室内ペイント塗りつぶしになっていたのに対し、本車はそれを逃れニス塗りが維持されていた車です。またご覧のように運転台右側窓が H ゴム化はされていませんが、R のついた窓に交換されています。おそらくこれは長野転入時に防寒・隙間風対策として1段窓に交換されたものと思われます。

 なお、本車は奇数向きですが、本来は偶数向きなのでおそらく長野転属時にトイレなしクハを奇数向きにそろえる目的で方向転換工事を施行したものと思われます。中央西線ではクハ68の方向をそろえることは行われていなかったようです。中央西線入線時に横須賀線で使われていた両支持形の幌にわざわざ取り換えられていたことを考えると (戦後の関西では片支持形)、クハ68同士で増解結することも想定されていたと思われるからです。但し、長野ではクハ68と76の向きは揃えられたのでクハ68同士の連結はなく幌は無用の長物でした。やはり横須賀線で使われていた引き通し線の3線化も中央西線転入時に行われていました。

クハ68056 (長モト) 1977.7 長野

クハ68056 (長モト) 1977.7 長野

 以下は客室内です。

クハ68056 (長モト) 1977.7 長野

本車の車歴です。

1938.9.9 日本車両製造  → 1938.9.23 使用開始 大アカ → 1943.12.14 改造 (クハ55133) → 1948.10 大ヨト → 1948.12.18 座席整備 → 1950.9.29 大アカ → 1953.6.1 改番 (クハ68056) → 1958.3.8 更新修繕I 吹田工 →1966.5.11 名カキ → 1968.8.23 名シン → 1972.3.22 長ナノ → 1974.12.17(?) 長モト → 1978.3.15 廃車 (長モト)

※車歴データは『関西国電50年』『鉄道ピクトリアル』誌『旧形国電ガイド』を参照しています。

 本車は1938年に日本車輛で製造され、戦前は一貫して明石電車区に所属していました。一部は当初宮原にいて、明石電車区開設後移っていますが、本車は最初から明石に配置されていたようです。その後座席撤去を受け、そのためか戦後は淀川区に移っています。1948年に座席整備されていますが、おそらくロングシートで整備されたものと思われます。1950年に京阪神緩行線セミクロスシート復活の方針が出されますが、それを受けてか、明石区に復帰、いつクロスシートへの改造を受けたのかは分かりませんが、1953年の一斉改番でクハ68に戻ります。しかし、元々原形クハ68は偶数車だけだったためか原番復帰にはならず、68056という番号が与えられます。そのまま古巣の明石区配属で活躍していましたが、1966年中央西線 名古屋ー瑞浪電化によって、不足する70系の補充制御車として名古屋地区に移ります。1968年に電化区間が中津川に延長されると、新設の神領区に移ります。さらに中央線名古屋口の混雑激化による73系の転用に伴い、今度は信越線の電機牽引の列車を電車化するため長野地区に移り、そこが最後の活躍の場となりました。

 なお、中央西線名古屋口の残った70系の運用は1978年までありましたので、長野に移った車輛はクハ68を含む比較的古いものだったようです。名古屋に残った70系はトイレ付きだったため主として名古屋ー中津川間の長距離運用に使われた一方、73系はトイレなしのため名古屋ー瑞浪間に限定されていたようです。