本車は、関西型通風機が残ったのが特徴だったクモハ51です。なお窓のHゴム化は運転台右側窓のみと最小限で、室内もニス塗りが維持されていました。
背後に荷物車に積む荷物を運搬する跨線テルハ (テルファー) が見えますが、国鉄の手荷物輸送の廃止によってこれも過去の思い出となってしまいました。
続きを読む今回は身延線の中で極めてオーソドックスな原形のクハ47です。全面窓は豊川分工場での更新修繕IIですべてHゴム化され、また前面に快速表示器も備えたタイプです。クハ47005も同じ外観ですので、車号が読み取れないと区別は困難です。
サハ48から改造されたタイプとの違いは、前面ワイパーが2基揃っていることと、トイレが3位側に設置されている点です。
こちらは、1-3位側の写真です。電柱と信号機が邪魔ですがこのサイドはこの写真しかありませんので... 客用扉の形状は2-4位側と同じです。また室内はニス塗りが維持されていました。
では、本車の車歴です。
1931.3.5 日本車輛製造 東チタ → (1951頃) 静フシ → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.10.19 廃車 (静ヌマ)
全検 49-9 大船工
本車はモハ32系の一員として、1931年に製造され横須賀線用として使用されました。当初は全車偶数(下り)向きだったようです。1951年からの70系の投入およびモハ32の地方転出に伴い、制御車不足でともに身延線に移動しました。はっきりした転属データが手元にありませんが、おそらく1951年の秋から遅くても52年の初めまでに富士区に転出したはずです。その際、静鉄の制御車は上り向きにするという方針を受けて、奇数向きに方向転換されます。トイレは、1952~3年ごろ豊川分工場で設置されたものと推定されます。そのまま約30年間身延線で使用されました。明確なデータが手元にありませんが、おそらく横須賀線時代の1950年に大宮工機部で更新修繕Iを、そして1957年度中(1957~8)に豊川分工場で更新修繕II を受け、前面樋の曲線化、運行灯の設置、運転台全面窓のHゴム化が施行されたものと思われます。また快速表示器も設置され、1957~64年にかけ快速運用にもついていました。
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ARTの設定保存ファイルの場所ですが、Windowsの場合は以下にあります。
C:\Users\%USERNAME%\AppData\Local\ART
このフォルダにOptionsというファイルがありますがここに環境設定等で指定した内容や、前回実行したときの設定(最後に参照したディレクトリ等)が保存されます。
.config/ART/options
ファイルになります。
内容は例えばこんな感じです。
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[General]
TabbedEditor=false
StartupDirectory=last
StartupPath=I:\\Data\\ARTチュートリアル
DateFormat=%Y-%m-%d
AdjusterMinDelay=100
AdjusterMaxDelay=200
MultiUser=true
Language=Japanese
LanguageAutoDetect=true
Theme=Default
Version=1.12.1
DarkFramesPath=
FlatFieldsPath=
Verbose=0
ErrorMessageDuration=5000
MaxErrorMessages=3
EditorKeyboardScrollStep=50
AdjusterShortcutScrollWheelFactor=4
[External Editor]
EditorKind=3
GimpDir=C:\\Program Files\\GIMP 2\\bin
PhotoshopDir=C:\\Program Files\\Adobe\\Adobe Photoshop CS4 (64 Bit)
CustomEditor=C:\\Program Files\\GIMP 2\\bin\\gimp-2.10.exe
:
:
(以下略)
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続きを読むこちらはクモハ60800とともに身延線旧形国電末期では数少ないノーシルノーヘッダー車だったクハ55441です。身延線では1970年代初めにはこれ以外に、ノーシルノーヘッダー車は、流電の中間車をクハ化したクハ47や、合いの子クモハ43810などが在籍しましたが、1975年3月までに他線区へ転出、最後はこの2両のみでした。
身延線のクハ55はいずれもサハ57から改造された平妻車のみで、本車もその例外ではなく、元は1939年度に製作されたサハ57014でした。クモハ60800と連結されればノーシルノーヘッダーで揃ったはずですが、見かけませんでした。単純にたまたま出会わなかっただけかもしれませんが、おそらく、ロングシート車で揃えないような運用上の配慮があったのではないかと思います。
正面の塗分けがちょっと独特で、正面サボ受けの内側のみがクリーム色になっていました。
続きを読むすでに当ブログの中でマゼンタがかったネガフィルム画像の補正の方法について何度か言及してきました(下記記事参照)。以下の記事では、ART、GIMPおよびImageJ+拙作のツールなどを使ってきました。主としてチャンネルミキシング(GチャンネルにRチャンネルの情報をミキシング)を行って調整しています。
ところで darktable はかなり柔軟なモジュールの使い方やマスクの掛け方が可能です。そこで darktable を使うとよりシンプルにこのようなケースの補正ができるのではないかと考えました。以下そのこころみの記録です。基本的にチャンネルミキシングの手法を使っているのは同じです。
題材として、以下のオリジナル画像を補正していきます。若干全体的にマゼンタがかっている典型的なネガカラーフィルムスキャン画像です。
・darktableでの作業
まず、darktableで読み込んで、露出とホワイトバランスを自動調整します。これでもかなりマゼンタがかりが消えました... が不十分です。
次にチャンネルのミキシングを行います。darktableではカラーキャリブレーションモジュールで可能です。ここで、darktableが複雑なマスク編集が可能なことを考えて、明るさによってチャンネルミキシングの適用量を変えることを考えます。つまり、暗い部分ではGチャンネルに対するRチャンネルの混入量を多めに、明るい部分は混入量を少なめにミキシングしていきます。これをdarktableのマスク機能を活用して実現します。また、赤みが強い部分はマスクを使ってミキシングの適用を除外します。
そこで、カラーキャリブレーションをマルチインスタンス機能で2つにします。
続きを読む本車は43系の制御車クハ58からクハ47に編入された車両です。戦後横須賀線用として上京するものの、すぐモハ32の地方転出に伴うクハ不足で、道連れとなって身延線に転出します。その後同じ仲間は、過半数が、飯田線の4両貫通の快速運用のため貫通路付きのクハが必要ということで、1957〜8年に飯田線に移っていきますが、本車はそのまま居残り、1957年の更新修繕IIの際に、幌も撤去され関東顔になってずっと身延線で活躍しました。またその際、半室運転台だったものを仕切りで区切って全室化されています。
本車はなぜか前面のサボ受けがありません。身延線では1970年頃まで前面サボを使っていましたし、身延線の前面サボ廃止後も、韮崎-塩山ローカル運用では前面サボを使っていたので、なぜ本車だけなかったのかは謎です。ほぼ中間車専用として使われていた51850代にサボ受けがなかったのは当然でしたが...
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