省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

正面にサボ受けがなかった身延線のクハ47112 (蔵出し画像)

 本車は43系の制御車クハ58からクハ47に編入された車両です。戦後横須賀線用として上京するものの、すぐモハ32の地方転出に伴うクハ不足で、道連れとなって身延線に転出します。その後同じ仲間は、過半数が、飯田線の4両貫通の快速運用のため貫通路付きのクハが必要ということで、1957〜8年に飯田線に移っていきますが、本車はそのまま居残り、1957年の更新修繕IIの際に、幌も撤去され関東顔になってずっと身延線で活躍しました。またその際、半室運転台だったものを仕切りで区切って全室化されています。

 本車はなぜか前面のサボ受けがありません。身延線では1970年頃まで前面サボを使っていましたし、身延線の前面サボ廃止後も、韮崎-塩山ローカル運用では前面サボを使っていたので、なぜ本車だけなかったのかは謎です。ほぼ中間車専用として使われていた51850代にサボ受けがなかったのは当然でしたが...

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クハ47112 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

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クハ47112 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

 

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クハ47112 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

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クハ47112 (静ヌマ) 1981.7 富士駅

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クハ47112 (静ヌマ) 1980.3 富士電車区

本車の車歴です。

1934.1.15 田中車両製造 (クハ58021) 偶数向 → 1934.7.20 使用開始 大ミハ → 1937.11.6 大アカ → 1938.9.30 大ミハ → 1945.1 座席撤去 → 1948.10 座席整備 → 1950.3.29 更新修繕I 吹田工 → 1950.9.26 東チタ → 1951.3.9 静フシ → 1952.2.10 便所取付  → 1953.6.1 改番 (クハ47112) → 1957.11.30 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ  → 1981.8.22 廃車 (静ヌマ) ※最終全検 54(1979)-7 大船工

 本車は、1934年に東海道山陽線京阪神間用として製造されました。クハ58はいずれも偶数向きに統一されていました。しかし1937年に明石電車区が発足すると、一時そちらに移ります。明石電車区発足で宮原区のセミクロスシート車は一斉に移転しました。おそらく本車の場合は流電の投入で急電運用から外れた2扉車ということで一時明石に「左遷」されたものと思われます。しかし翌年宮原に復帰します。戦時中は4扉化を逃れたものの、座席撤去を受けます。戦後以降の流れはすでに述べた通りです。なお既に別のところでも述べていますが、身延線転出で静鉄の方針として制御車は奇数向き (上り方) に揃えることとなり、方向転換しています。

 なお、客室内は、クハ47のご多分に漏れずニス塗りが維持されていました。

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