本日ご紹介する車両は、大糸線に使われていたクモハ60113です。写真を探しましたがこの1枚しか撮れていませんでした。戦時中にモハ63が登場するまで作られたモハ60の典型です。ご覧のように末期まで美しいPS-11を維持していました。また前面の通風機もつぶされることなく残っており、最後まで原型の風情を残していました。
本車の車歴です。
1943.3 日本車輛製造 東カマ → 1950.8.12 東マト → 1955.11.14 東イケ → 1962.11.16 東ヒナ → 1966.5.1※ 長キマ → 1981.8.25 廃車 (長キマ)
※ 1966.9.1 とする資料あり
本車は1943年3月に日本車輛で製造され東鉄に配備されました。1947年3月には蒲田にいたことが分かっているので、おそらく新製配置は蒲田区だったと思われます。その後、1950年頃に、京浜東北線、電動車4扉車統一を受けて松戸に移ったものと推定されます。関東のクモハ60の多くはそのまま常磐線で使われましたが、本車は1955年に池袋区に移ります。おそらく山手線ではなく赤羽線用に使われたのではないでしょうか。その後、池袋区への新性能車の投入を受け、横浜線に移りますが、1966年に73らに追われて、17m車の置き換えとして大糸線に移ったものと思われます。その後15年間を大糸線で過ごし、1981年に115系による置換で廃車となりました。
因みに、本車の解体は、以下のサイトによると、生まれ故郷の日車で行われたようです。といっても、製造時には工場は名古屋、解体時は工場は豊川に移っていましたが...
なお、1-3位側の写真が撮れていませんが、他の方が撮った写真によると、客用扉の形状は2-4位側と対称だったようです。