省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

関西からやってきた幌付きセミクロス車 大糸線 クモハ51014 (蔵出し画像)

 本日は10/14鉄道記念日です。というわけで、1014の数字が入っており、かつ鉄道開業150周年に掛けて 1,5,0 の数字が入っている車両という理由で、クモハ51014を本日はご紹介します。

 この車両は大糸線のクモハ51です。1972年に関西から大糸線にやってきました。当時の大糸線の大半はクモハ41, 60等のロングシート車でしたが、本車の導入により低出力ロングシート車のクモハ41を置き換え、観光路線でもあった大糸線のサービス向上に役立てたものと思われます。またクモハ60 (おそらくクモハ41も) が運転台側に幌を備えていなかったのに対し、関西から来たクモハ51は全車幌がありましたので、大糸線4両運用のサハ45や57とつなげる中間車代用として重宝されたのではないかと思います。国鉄時代は、車両は1両単位で管理されていたので、幌付きの車両を導入して、検査等による車両編成入換の自由度を上げるという目的もあったのではないかと思われます。

 なお現在では、車両は編成単位で管理され、編成ごとに検査や工場の入場も行われますが、これは1993年に大量導入されたJR東日本の209系の以降のことです。そのため、かつてはバラバラに切り離した車輛を工場に入場させるために牽引車が必要でしたし、また車両基地ごとに車両の方向を揃えるということが非常に重要でした。しかし、現在は編成単位で管理するため、牽引車の用途も減り、車両基地ごとに車両の方向を揃える必然性もなくなっています。実際、相模線用の205系500代は、豊田区から国府津区に転属した際、他車と引き通し線の位置が異なっていましたが、他車と混結することもないため、方向転換をしないまま使われました。そのような訳で事業用車の数も大幅に減ってしまいました。

クモハ51014 (長キマ) 1977.8 北松本運転支所

 

クモハ51014 (長キマ) 1977.5 信濃大町

では、本車の車歴です。

1937.2 日本車輌製造 (モハ51014) 東ミツ → 1943.12.6 改造 大井工 (41069)  →  1950.9.17 大ミハ → 1951. 4.26 座席復旧 → 1952.3.19 改造 吹田工 (51014) → 1953.10.16 更新修繕 I 吹田工 → 1956.3.1 大タツ → 1973.3.17 長キマ → 1981.8.25 廃車 (長キマ)

 元々本車は中央線サービス向上のため投入されたモハ51でした。モハ51としては第2次車に当たり、当初から運転台が全室のグループです。中央線では、下り寄りに連結されていたため、東鉄向けのモハ51は全車偶数車でした。1950年にモハ42, 43一党との交換で大阪にやってきて、20年以上京阪神緩行線で活躍しましたが、103系の投入で大糸線にやってきました。おそらく、大阪時代には関西型通風器を設置していたものと思われますが、写真を撮ったときには撤去されていました。

 なお運転台左側の窓が2段のままとなっていますが、本車は前面に幌を備えていたことから、寒気を避けるためにも、冬季は主として中間に挟まれて使われていたのではないかと思われます。

-----------

なお、本車とともに長キマにやってきたクモハ51は...

1972.03.17        51011
1972.03.17        51013
1972.03.17        51014
1972.03.17        51025
1972.03.17        51030
1972.03.17        51032

また、これに先行して、仙石線からクモハ54もやってきました。

1971.04.28        54005
1971.04.30        54101
1971.05.02        54109

 

これにより廃車になったクモハ41は...

1971.12.20        41013
1971.12.20        41015
1971.12.20        41049

1972.04.25        41012
1972.04.25        41014
1972.04.25        41122
1972.04.25        41125
1972.07.11        41030
1972.07.11        41117

でした。

 なお、クモハ40077のところでも書きましたが、1970年以降大糸線にやってきた車輛は、戸袋に雪が吹き込むのを防止するために、それ以前の車輛に施行されていた特殊な吹込み防止装置を設置することは廃止され、単純にゴムで開口部をなるべく塞ぐように変更されました。

なお、大糸線のクモハ41の写真はほとんどネットに上がっていません。辛うじて見つけたのは...

クモハ41012

http://railsphpto.travel.coocan.jp/naganoarea.html

クモハ41122

http://blog.livedoor.jp/shinsan_1948/archives/38214251.html

 

また、大糸線時代の写真ではありませんが...

クモハ41013 東ナハ時代

https://blog.goo.ne.jp/kaisou-no-sharyoutati/e/6a5c4f349cfc8ea655593256772cd2d0

クモハ41117 東ナハ、静トヨ時代

http://kokuden.net/mc53/sub.htm/sub8.htm/sub8.html

がありました。各筆者の方に感謝申し上げます。