こちらはクモハ51200です。この車はなかなか良い形式写真が撮れず、非常に心残りだった車です。ただ最後の最後、1983年の6月に訪問した時に、伊那松島区で運用とダイヤを確認して、ここならうまい形式写真が撮れそうだととある駅で待ち構えていたら、別の車が... 急遽故障で運用を外れたのでした... 嗚呼!
上の写真は本車との最初の遭遇でした。
2-4位側です。ご覧のように側面サボ受けが他車とは異なり、幕板についています。横須賀線時代は側面サボ受けはなく、そのあと北松本に転属し、その後伊那松島と北松本で何度も行き来をしたようなので、大糸線仕様のようです。ただその後長く伊那松島にいたにもかかわらず、移設されませんでした。
頭が隠れていますが1-3位側です。
前面幌枠は原形のままです。なお、前面運転台窓は末期はHゴム化されたようですが、私は写真が撮れませんでした。
本車の車歴です。
1934.2.27 川崎車両製造 (モハ43002) → 1934.6.26 使用開始 大ミハ → (不明) 座席撤去 → 1948.11.24 座席整備 → 1950.2.17 更新修繕I 吹田工 → 1950.9.16 東チタ → 1955.7.18 更新修繕II 豊川分工 → 1960.4.20 東フナ → 1964.2.19 改造 大船工 (クモハ51200) → 1965.7.1 長キマ → 1966.5.27 静ママ → 1968.9.25 長キマ → 1969.9.28 静ママ → 1984.1.18 廃車 (静ママ)
本車は1934年にモハ43002として川崎車輌で製造されました。トップナンバーの43001は戦災廃車となっていますので、戦後まで残ったクモハ43の中では最も若番でした。
戦後は元モハ51と交換で上京し横須賀線へ行きます。本車は偶数車であったこともあり、かなり後の方まで横須賀線で活躍しますが、そのため残念なことに1964年に3扉化され、クモハ51200となります。しかし最後までPS-11パンタグラフを維持しました。改造翌年、新性能化で横須賀線を離れ、大糸線の20m化要員として北松本に転属しますが、翌年伊那松島へ。しかし北松本と伊那松島で玉突きされた後、1969年以降15年間は飯田線北部を中心に活躍しました。あまり車輛の調子が良くなかったのかもしれません。しかし、1978年の豊橋区の80系化でも、MT-15を備えた不利な条件にもかかわらずなぜか生き残って飯田線旧形国電の最後まで使われました。