今回の車輛は JR東日本が2021年に新製した牽引車 クモヤE492-1, E493-1 です。かつて国鉄時代、牽引車はどの電車区にも少なくとも1輌、時に2, 3輌は配備されていました。というのは国鉄では車両は1輌単位で管理され、検査期限切れが近づいた車輛があると、それらを編成から外して、回送列車を組み工場に送っていました。その際その車両に制御車があるとは限りません。そのため工場に送る編成を率いる牽引車が必須で、回送列車の先頭もしくは両端に必ず制御車がつけられました。
また、様々な編成から車両を抜いて、再編成して回送列車を仕立てることから、車両の偶数、奇数の向きを車両基地ごとにそろえることも重要でした。
しかし、209系の登場以降、個々の車輛ごとに検査期限を管理するのではなく、編成単位でまとめて管理するようになってからは、編成のまま自力回送するようになったため、牽引車の出番が激減し、牽引車自体の数を減らしていきました。これは、車輛の耐久性を低くして車輛の製作コストを大幅に減らすことで可能になったと考えられます。209系登場時は、10年でスクラップすると言われました。実際には10年で廃車にしても減価償却上問題がないということだったようですが (とは言え、これら新系列の電動車は10~15年で機器の大幅更新を行っています。これらの更新を行わなければやはり寿命は10~15年ということでしょう)。1輌当たりの製作費が高ければ、車輛の入れ替えの手間を掛けても輌数を節約することが合理的ですが、低くなれば、車輛を多めに作って、車輛の管理コストを減らすことが合理的になります。
これにより、検査期限切れの車輛を編成から抜いて回送列車を仕立てるいうことがほとんど行われなくなりましたので、車輛基地でも車輛の向きを必ずしもそろえなくともよくなりました。例えば相模線で使われた 205系 500番代は当初豊田電車区に配備されていました。そのため、他の201系などと向きをそろえるために橋本(下り)向きが偶数、茅ケ崎(上り)向きが奇数となっていました。しかし、のちに豊田区から国府津区に移動した際に、方向転換を行わなかったため、国府津区の中では東京方が偶数、国府津方が奇数と、他の東海道線の車輛とは向きが反対になってしまいましたが、そのまま使われました。なお余談ですが、E131系に代わってからは同区の他の車両と向きをそろえて投入されました。
というわけでJR東日本では、長らく牽引車の新車は投入されず、1980年代に旧形牽引車を更新するために製作されたクモヤ143, 145も廃車になってしまいましたが、2021年に新たなコンセプトの牽引車が登場しました。それがE492, 493です。
JR東日本は客車列車がほとんどなくなり、電気機関車はもっぱらレール、砕石輸送や、廃車予定車の回送列車の牽引が主になっていて活躍の場が狭まっていました。しかし、電車と操作体系の異なる機関車ですと運転士の養成コストが問題になり、かつ現在JR東日本が所有している電気機関車老朽化も進んでいます。
このため、EF64 の置き換えに機関車を製造するのではなく、既存の電車や気動車と同じ操作体系で運転できる、事業用気動車や電車で置き換えることになったようです。このため今まで輌数を減らしていた牽引車でしたが、電気機関車が担っていた回送列車をけん引するために新たに製造された牽引車が本車というわけです。
なお中央東線系統では、レール輸送については、数年前までそのための EF64 の運用がありましたが、現在はキヤE195に置き換えられ、なくなってしまいました。
この日は甲府駅に姿を現していました。長野総合車両センターへ廃車予定車の回送を行った帰りだったのでしょうか、それとも試運転だったのでしょうか。
本車の車歴です。
2021.2.9 新潟トランシス製造 → 2021.3.26 使用開始 東オク → (現在に至る)