省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線向きにライトを多数備えていた救援車 クエ28002 (蔵出し画像)

 今回紹介する車両は、沼津機関区にいた救援車クエ28002です。救援車とは、事故が発生した際に現場に駆けつけて復旧作業にあたる車輛です。室内には復旧用機材が備え付けられていました。かつては、どの車両基地にも救援車が1輌はありました。多くは営業用に使用されなくなった電車や客車を改造して、備えられていました。

 1980年代に従来の救援車が老朽化した際に、新たに新製された牽引車クモヤ143やクモヤ145が登場した際、救援車の機能も兼ねていたものもあったようですが、先日の記事で記したようにそもそも車輌基地における牽引車の需要もほとんどなくなってしまったためクモヤ143や145自体大半が淘汰されてしまったようです。さらに従来救援車が行っていた機能も、道路事情の改善でトラックに任されるようになり、今日では救援車自体見ることがなくなってしまいました。

 本車は、木造車を鋼体化したクハ16を改造して身延線用救援車として登場しました。当初は富士電車区に配置されましたが、1969年に車輌配置が沼津機関区に移ると、本車も沼津に移動しました。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

 身延線の狭隘な山間部路線に対応するため、たくさんのライトが設置される共に、側面から機材が取り出せない可能性を考慮して前面にも機材を出し入れする観音開きの扉が設けられているのが特徴です。この特徴は、飯田線用として豊橋区に配置されていたクエ28100も同様でした。

 また電源を取るために電動車でないにもかかわらずパンタグラフが設置されています。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.9 沼津機関区

 後位にはオエを従えています。また上には架線がありません。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

 連結器は密練をつけていますが、自連のアダプターが付いています。DLかELで牽引することが前提されていたようです。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

 こちらは2-4位側です。こちらにも運転台が増設され、両運転台になっています。ただし4位側は当然ながら乗務員扉がありません。3位側には乗務員扉が増設されています。全検は 52-5 大船工となっていました。写真を撮ったときは全検直後で、塗装はピカピカでした。沼津では、ほとんど客車救援車と同等の扱いでした。しかし、おそらく富士電車区時代は、電車に連結して出動することが前提されていたと思われます。多分、沼津に移って運用上の扱いが変わったのではないでしょうか。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.9 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

 以下は床下です。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

 床下には予備のレールがぶら下がっていました。事故現場でレールが破断した時にその部分を溶接してつなぎ合わせるためでしょう。

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

クエ28002 (静ヌマ) 1977.5 沼津機関区

では本車の車歴です。

1922製造 (サハ33791) → 1928.10.1 改番 (サハ25101) → 1937.3.下旬 改造 大井工 (クハ65030) → (1947.3.1 現在 東カマ) → (?) 東ミツ → 1953.6.1 改番 (クロハ16800) → 1954.11 東オメ → 1957.2 東カマ → 1959.4 改番 (クハ16800) 東ヤコ →  東ヒナ(?) → 1963.1.23 静フシ → 1963.3.6 改造 浜松工 (クエ28002) → 1969.4.11 静ヌマ → 1984.6.28 廃車 (静ヌマ)

 本車は元々木造車を鋼体化した、50系の制御車クハ65030 として誕生しました。配置区は不明ですが、1947年には連合軍指定車として京浜東北線用として配置されていました。その後、中央線に転じ、1953年の改番ではクロハ16800 となりました。その後青梅線に転じますが再び京浜東北線に復帰します。しかし京浜東北線の2等車廃止で南武線に転じ、車番もクハ16800に改番されます。その後、1963年に身延線に転じた後、身延線用救援車として改造されました。なお鉄道誌の情報では東ヒナから静フシに転じたとありますが、ひょっとすると東ヒナは東ヤコの間違いではないかと疑っています。

 その後、富士電車区の電車配置の移動とともに沼津機関区に移り、1984年に廃車となりました。