省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

最後の営業用木造鋼体化車50系の一員 可部線 クハ16477 (蔵出し画像)

 今回の写真は、可部線のクハ16477です。先日解体されてしまったクモハ11117とともに可部線で働いていました。クハ16は17m車の制御車ですが、出自は様々で、0 番台が31系のオリジナルのクハ、100番台は30系モハ30を電装解除したグループでダブルルーフ屋根のまま、200番台は、100番台を更新修繕で切妻シングルルーフに改造したグループ、300番台は、モハ31を電装解除したもの、400番台は、木造車を鋼体化した50系の制御車で元クハ65でした。可部線はこの元50系が最後まで営業用に使われていた線区で、本車はその最後の1輌です。

 今日の可部線は、非電化の末端部こそ廃止されてしまいましたが、広島都市圏でもラッシュ時混雑の激しい有数の路線です。また一部廃止区間の再復活でも話題を呼ぶほどの重点線区となっていると聞きます。しかし、当時は、バスに押されて、日中は17m車のTcMcがのんびり走る、広島都市圏でも最も等閑視されていた路線でした。

 なお、可部線の車輛は電車にもかかわらず自動連結器を備えていたことが特徴ですが、実はTcとMcを結ぶ連結器の方は密着連結器のままでした。次位はクモハ12055でしたが、こちらの3-4位側連結器もおそらく密着連結器のままだっと思われます。

 この理由ですが、山陽本線非電化時代は、可部線は電化区間として孤立していましたので、幡生工場に入場する際は蒸機が長距離を牽引して回送する必要があり、McTcの先端のみそれに備えて自連化したものと推測されます。

クハ16477 (広ヒロ) 1975.8 横川駅

本車の車歴です。

1922年製造 (サハ33783) → 1928.10.1 改番 (サハ25094) → 1940.3.上旬 改造 大井工 (クハ65101) 千ツヌ → (1947.3.1 現在) 千ツヌ → 1953.6.1 改番 (クハ16477) 千ツヌ → 1963.3.31 広ヒロ → 1976.5.29 廃車 (広ヒロ)

 本車は、元々木造サハ25を鋼体化した50系の制御車クハ65101でした。1940年に改造後、そのまま津田沼区に配置され、1963年に当線に転入するまで津田沼区を動くことはなかったようです。山手線への103系の投入で、捻出された101系が総武緩行線に入ってくると広島に都落ちしてきて13年間を過ごしましたが、呉線へ中央線山スカモハ71が転入してきて、そこから捻出された73系によって置き換えられました。

 

 なお、上記写真も下記のように黄変していた写真を当ブログで紹介している拙作の黄変写真補正ツールを使って補正したものです。

オリジナル