省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

長岡運転所で昼寝をするクハ68028 (蔵出し画像)

 本日は鉄道記念日です。というわけで再び旧形国電の紹介に戻りたいと思います。本日ご紹介する車輛は上信越線、長野地区で活躍したクハ68028 です。新潟地区に転属前に関西でHゴム化と関西型通風器を設置していますが、その後さらに新潟地区特有のタイフォンカバースノープラウ、つらら切りなどが設置されています。

 写真撮影時は一時運用を外れて、長岡運転所で昼寝をしている姿です。

クハ68028 (新ナカ) 1976.8 長岡

 では本車の車歴です。

1937.3.6 日本車輛東京支店製造 (クハ68003) → 1937.4.28 使用開始 大ミハ → 1937.10  大アカ→ 1944.5.12 改造 (クハ55117) → 1948.10 大ヨト → 1948.12.28 座席整備 → 1950.9.28 大アカ → 1953.6.1 改番 (クハ68028) → 1954.12 大ミハ → 1956.3.1 大タツ → 1956.12.11 更新修繕I 吹田工 → 1961.3.1 大アカ → 1964.10.1 大タツ → 1965.3.28 大アカ → 1966.4.14 → 新ナカ二 → 1967.11.15 新ナカ (長岡運転所発足) → 1976.10.7 廃車 (新ナカ)

 本車は 1937年に日車東京支店にて京阪神緩行線用としてクハ68003として製造されました。戦時中に座席撤去を受けクハ55に編入され、さらに戦後淀川区に転出しますが、1950年再び京阪神緩行線に復帰します。その後長らく京阪神間で使用されますが、かなり頻繁にたらいまわしされています。おそらく余り状態が良くなかったのではないでしょうか。その後 1966年に、新潟地区への70系追加配備に伴い新潟地区に転出し10年間使用されましたが、115系の配備で、写真撮影後2か月もたたずに廃車となりました。ひょっとすると、新潟地区でも余り状態が良くなく、車庫で寝ていることが多かった可能性があります。左側の助手席窓も2段窓のままでしたが、これも稼働率が低かったためかもしれません。

車歴データは『関西国電50年』からです。