省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

鷹取工場施行クハ58を4扉化した片町線クハ79054 (蔵出し画像)

 43系の制御車、クハ58は総数25輌中、戦時中の1944~45年にかけて過半数の13輌が4扉車に改造されました。当初全車施工の予定でしたが資材不足等でこの数にとどまりました。とはいえ、かなりの数が4扉化されてしまいました。

 この写真を撮りに行った1976年3月の時点では、片町線に残るクハ58を4扉化したクハ79は3両のみしか残っておらず、番号的には末尾の 054~056 のみ残っていました。

 この4扉化工事ですが、吹田工場と鷹取工場の2工場で施行されましたが、両者で施行方法に違いがあります。吹田工場施行車は窓が全面的に再配置されましたが、鷹取工場はオリジナルの窓配置をある程度残して、必要最低限の窓の再配置にとどまりました。そのため窓配置にアクセントがあります。本車は鷹取工場施行車です。

 本車はこの写真を撮った翌月には廃車になっていますので、本当に最後の姿です。関東からわざわざ写真を撮りに行った私には、大阪地区にまだ戦前形国電が現役で活躍していたのはうらやましい限りでしたが、地元の人たちはボロ電と酷評していたようです。廃車直前のためくたびれた姿は隠せません。

クハ79054 (大ヨト) 1976.3 鴫野

クハ79054 (大ヨト) 1976.3 鴫野

クハ79054 (大ヨト) 1976.3 鴫野

クハ79054 (大ヨト) 1976.3 放出

クハ79054 (大ヨト) 1976.3 鴫野

本車の車歴です。

1935.5.3 日本車輛製造 (クハ58024) 大ミハ→ 1937.11.6 大アカ → 1941.11.15 大ミハ → 1943.2.12 大アカ → 1945.2.12 改造 & 座席撤去 鷹取工 (クハ85024) → 1948.11.19 座席整備 → 1949.7.8 改番 (クハ79054) → 1950.11.13 大ヨト → 1954.10.6 更新修繕I 吹田工 → 1961.6.12 大モリ → 1961.9.19 大ヨト → 1976.4.20 廃車 (大ヨト)

 本車はクハ58024として日本車輛で製造され、関西の名門宮原電車区に配置されます。なお、クハ58は全車偶数車として製造され、本車は最後までそれを維持していましたが、のち、静鉄に移ったクハ58原形車は最終的に全車奇数車に方向転換されています。

 流電の配置で急行運用から外れ明石区に飛ばされますが、一時宮原区に復帰します。明石区に戻った後4扉化され、クハ85024 を名乗りますが、クハ58 の番号を反対にした形式番号です。あるいは全車4扉化したら再びクハ58に戻すつもりでこの番号をつけたのかもしれません。

 しかし、戦後になるとクハ85 の車番は新しく登場する80系の制御車の番号に充てられることとなり、クハ79の初期製造車の連番に付け替えられます。さらに京阪神緩行線クロスシート車復活整備計画のためか、1950年に淀川区に移り、京阪神緩行線での生活を終え、城東線、片町線での活躍を始めます。

 1961年に森ノ宮区の開設により大阪環状線用としてそちらに移りますが、すぐ 101 系の配備で片町線用として淀川区に戻ることになりました。その後片町線が新性能化される 1976年まで活躍しました。

 本車は生まれは名古屋でしたが、生涯大阪周辺を離れずに活躍した車輛でした。