省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

関西国電始源の1輌、41005を出力強化した阪和線 クモハ60153 (蔵出し画像)

 こちらは阪和線で活躍していたクモハ60153です。関西国電始源の元モハ41の1輌で、元番号は41005でした。残念ながら中間に挟まれていたので正面を撮ることはできませんでした。依然ご紹介したクハ55071 とコンビを組んでいました。

クモハ60153 (天オト) 1976.3 和歌山

クモハ60153 (天オト) 1976.3 鳳

クモハ60153 (天オト) 1976.3 鳳

 運転台運転士席側です。関西型通風機が見られます。

クモハ60153 (天オト) 1976.3

 客室内です。関東の車輛とは異なり、ニス塗りが維持されていました。

クモハ60153 (天オト) 1976.3

 運転台です。元々は半室運転台でしたが、全室に改造されています。

クモハ60153 (天オト) 1976.3

 運転台の拡張側。

クモハ60153 (天オト) 1976.3

 マスコンです。

クモハ60153 (天オト) 1976.3

クモハ60153 (天オト) 1976.3

 放送装置でしょうか。

本車の車歴です。

1932.10.29 日本車輛東京支店製造 → 1932.11.15 使用開始 大ヨト → 1944.7.13 座席撤去  → 1948.12.28 座席整備 → 1951.2.24 更新修繕I 吹田工  → 1953.6.1 改番 (モハ60153) → 1953.8.20 大アカ → 1953.8.30 大ミハ → 1954.3.26 大ヨト → 1957.7.11 更新修繕II 吹田工 → 1961.9.2 大アカ → 1963.10.30 天オト →  1977.7.14 廃車 (天オト)

 本車は生まれは東京です。おそらくこの時点までは電車製造で実績のある東京のメーカーに製造を任せていたものと思われます。しかし大阪に配置後はずっと大阪圏で使用されました。前回紹介したクモハ60073が関西生まれなのにずっと東京圏を離れず使用されたのと好対照です。大阪で最初に電化された城東・片町線用として使われました。なお、関西国電始源の電動車はモハ41は全車奇数向き、モハ40は偶数向きでした。大阪圏の3扉ロングシート車としては珍しくセミクロス化されませんでしたが、それはずっと城東・片町線で使用されたためです。1950年頃に城東線をなるべく4扉車に揃えるために、宮原区の4扉車改造車と淀川区の3扉ロングシート車が交換され、比較的少数の3扉車のみ片町線用として淀川区に残されたため、関西の3扉ロングシート車の残存率は少なかったのです。

 1953年までに出力強化改造されクモハ60に改番されましたが、1951年の更新修繕の際に出力強化された可能性が高いです。おそらく社型の阪和形を片町線などでも転用する計画があったため、それに合わせるため出力強化されたのではないかと思いますが、阪和形の電動車は自重が重かったため他線区での転用が難しく、転用は制御車のみにとどまったものと思われます*1。ただ制御車であっても国鉄制式制御車より自重が重かったので、やはり出力強化は必要と判断されたのかもしれません。

 改番後はあちらこちらを転々としましたが、状態が悪かったのではないでしょうか。そのためか、1957年には更新修繕II を受けます。運転台の全室化改造はその時施行されたのではないかと推定されます。その後、大阪環状線への101系の投入で、既存の4扉車が片町線に転用されたため、再度京阪神緩行線に出ますが、1963年からは輸送力増強のため阪和線に出てからそこが安住の地となり、新性能化まで使われました。

 なお、モハ41の若番車は、トップナンバー、41001 は戦災で廃車、41002 はクモハ51059 に改造されており、41003 はやはり戦災廃車、41004は以前紹介した60151です。

 

*1:クモハ60151 の記事をご参照ください。

yasuo-ssi.hatenablog.com