省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

運転台が全室に改造されていた元クロハ59 長岡運転所の クハ68005 (蔵出し画像)

 本車は既にご紹介したクハ68021 と同じく元43系の一員クロハ59を改造したクハ68です。戦前に既に3扉化改造されています。本車はクハ68021よりやや遅れて新潟に来たため、運転台窓が両方とも H ゴム化されています。運行灯窓もおそらく Hゴム化されたものと思われますが、新潟式タイフォンカバーがついて埋め込まれています。

クハ68005 (新ナカ) 1976.8 長岡

 こちらは1-3位側。前面貫通路扉につらら切りがついています。後ろは建設中の上越新幹線駅です。

クハ68005 (新ナカ) 1976.8 長岡

 こちらの写真は2-4位側。

クハ68005 (新ナカ) 1976.8 長岡運転所

 長岡運転所内で清掃作業を受けるクハ68005です。幌は横須賀線タイプの両支持形に変更されています。幌枠はオリジナルタイプが残されていたようです。また、ジャンパ栓は3栓ありますが3栓目の栓受けはありません。なおジャンパケーブルは3線使われていました。それはクハ68044の写真で確認できます。

クハ68005 (新ナカ) 1976.8 長岡

 こちらは客室内。半室運転台でしたが、全室に改造されているのが分かります。このため、1-3位側の乗務員扉後ろの窓が 700mm から 550mm に縮小しています。クハ68021のほうは、半室のままだったためオリジナルのままでした。施工の時期は『国鉄電車ガイドブック 旧性能電車編 上』では、3扉化施行時に窓が縮小されたとありますので、そうだとすると後述のように、1941年時点ということになります。なお、窓が縮小されていたのは 1953年の改番時点以降で、68001, 68003 (のち403), 005 の3輌だったようですが、もし戦前に施行されていたとするともっと多くの車輛が全室運転台に改造されていた可能性があります。

 『関西国電50年』を見ると、この3輌はいずれも、1941年11月以前に3扉化改造が施行されており、1941年12月以降施行された車両はいずれも半室運転台のままだったようなので、そうだとすると元のクロハ59001 ~ 006 (のち、クハ68021 ~ 026 → クハ55135 ~ 140) が全室運転台化され、その後戦災と事故で、55135, 7, 8 (元 59001, 3, 4) が失われ、残った車輛がクハ68001 ~ 005 (奇数) として残ったということでしょう。1941年12月以降の改造車はおそらく資材節約のため全室運転台化改造が放棄されたものと思われます。

本車の車歴です。

1934.2.17 日本車輛製造 (クロハ59006)  大ミハ → 1941.4.15 改造 吹田工 (クハ68026)  → 1943.10.4 改造 吹田工 (クハ55140)  → 1948.12.21 座席整備 → 1950.9.29 大アカ → 1951.10.17 更新修繕I 吹田工 → 1953.6.1 改番 (クハ68005)  → 1959.2.10 更新修繕II 吹田工 → 1966.4.14 新ナカ二 → 1967.11.15 新ナカ → 1976.10.7 廃車 (新ナカ)

参照資料: 『関西国電50年』

 本車は、43系の2, 3等合造車 クロハ59 として製造されました。なおクロハ59は全車奇数、クハ58 は全車偶数車として製造されました。このためクロハ59を改造したクハ68も奇数車となっています。また、モハ43 は偶奇同数、モハ42 は、001~006までは偶奇同数、以降は奇数(上り)のみだったようです(『関西国電50年』による)。また当初、朝夕は4輌、日中は2輌で運転されたとあります。おそらく当初編成両端を電動車、中間にクハとクロハを挟む形で運用され、必要に応じて2輌で運用されたのではないかと思われます。

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推定される当時の運用

←上り(奇数) モハ43(42) + クハ58 + クロハ59 + モハ43 (42) 下り(偶数)→

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 また、5輌で運用される列車もあったようなので、おそらく上記編成の上り側にモハ42をつないでいたのではないかと思います。また、『関西国電50年』には 1937年に撮られたクロハ59 + モハ43 + 上り向きモハ42 の写真も載っています。

 しかし、戦時体制に入って2等車が廃止されると全車3扉車のクハ68 に改造されます。さらに座席撤去によりクハ55 に編入されます。戦後座席整備を受け、さらに京阪神緩行線クロスシート復活方針でクロスシート化され、1953年の形式番号改正により再びクハ68に戻りますが、その際クロハ59改造の奇数車が先の番号になることになり68001 〜 023 の奇数番号がこのグループに割り当てられました。配置から1967年まで33年間、途中配置区は変わりましたが、一貫して京阪神緩行線で使われました。しかし、1966年新潟地区の電車化区間拡大用に転用され、新潟式タイフォンカバーやつららきり、スノープローを装備し、その後 115系置き換えまで、10 年間豪雪地帯で活躍しました。