省型旧型国電の残影を求めて

戦前型旧型国電および鉄道と写真補正編集の話題を扱います

飯田線クハユニ56011 (1983.6)

 一応ブログのタイトルがタイトルですので、月に1回ぐらいは旧型国電の写真を紹介しなければということで、今回は手抜きの紹介です。先日黄変写真補正のサンプルとして掲示したクハユニ56011(静ママ)の写真を再掲載します。ただ補正をちょっと変えました。今回は、Bチャンネル再建法に、色域指定によるBチャンネルのトーンカーブ補正を組み合わせて補正しました。Bチャンネル再建法で微妙に補正しきれていない部分を、色域指定を使って補正しました。最後にRawTherappeで明度のトーンカーブ補正とフィルムシミュレーション (Fuji Astia) を使って仕上げています。補正が適正なところまで追い込めるようであれば、RawTherapeeのフィルムシミュレーションではFujiのAstiaが一番ナチュラルな感じに仕上がるように思います。逆に言うと、追い込み切れないときに、フィルムシミュレーションを最後の駆け込み寺というか、頼みの綱に使っているようなところがありますが... (笑)。青い塗装の部分にやや黄色味が残っていますが、黄色味を消しすぎると艶がないような感じに仕上がりますので (アルミフォイルで作ったレフ板を使って被写体に光を当てると若干黄色がかりますが、それと同じかと思います)、微妙に残して艶あり感を出しています。

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クハユニ56011 (静ママ)

 再掲ですが、Bチャンネル補正法だとここまで黄変写真を補正できるということで、補正前のオリジナル画像も載せておきます。手持ちのフィルムでは、補正が最も困難な部類です (ネットではもっと毀損の著しい写真を公開されていらっしゃる方々がいます)。ともあれ、これだけ黄変しているフィルムでもまだ救済策はある、ということです。黄変しているからといって、あっさり貴重な写真を捨てたりなさらないよう。

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補正前 オリジナル

  撮影場所は豊橋駅で、119系に置き換わる直前の写真です。その119系すら既に亡いことを考えると、月日が経つのはいかに早いものか... 1978年の豊橋機関区への80系投入までは長年豊橋機関区(静トヨ)所属でしたが、80系の投入と共に伊那松島機関区に追い出されてしまいました。豊橋機関区時代はMc+Mc+Tpgcという組み合わせで運用されていて、Mcの2連にはクモハ42が担当することが多かったと思います。それと同時に伊那松島区には、クハニ67による運用があり、Mc+Tgcで運用されていました。こちらは定員を考えて通常クモハ61が相棒に入っていました。Mc+Tgc運用は天竜峡以北に限定されていたと思いますが、たまにクハが入場したときは、Mc+Tc運用の代用として南部に入ることもあったと思います。

 伊那松島区移動後は、Mc+Tpgcという編成で、クハニの運用番号を踏襲した90番台の運用に従事していました。

 119系導入後はクモユニ147に置き換えられてしまいましたが、2年後には飯田線の郵便・荷物輸送の廃止、さらには、鉄道における郵便・荷物輸送全般の廃止の方向となり、クモユニ147は旅客車に改造されるという流れになりました。

 最後は、例によって本車の車歴ですが、もともとはモハユニ61002として横須賀線用に製造されました。形としては51系グループですが、51系グループの中では唯一横須賀線配属となりました。しかし落成が戦争中だったため、部品不足で電装されないまま配属されました。おそらく東チタ配属かと思います。結局そのまま1952年に飯田線に配属となり豊川分工場にて座席整備やトイレ設置が行われ、クハユニ56に改番されました。飯田線転属前に東鉄内で移動があったかどうかは分かりませんが、おそらく70系の投入で横須賀線を追われたモハ32(→クモハ14), クハ47, サハ48などと共に静岡局へ移ってきたのだと思います。因みに横須賀線はその後、70系→113系→217系と来て、いまやE235系が投入されようとしています。17m車や社型の天下だったころから、長く飯田線のヌシとして活躍しました。

1943.11.29 日車東京支店製造 東鉄(おそらく東チタ)配属 → ... → 1952.5.2改番 クハユニ56011(静トヨ)→1978.10.19 静ママ → 1983.11.29 廃車

製造所とされる日本車両東京支店は、埼玉にあった蕨工場かと思います(1972年に豊川製作所と統合され豊川蕨製作所となり、蕨の工場は廃止)。何と偶然にも、落成日と廃車の日付が一緒ですね。