本車は元々横須賀線用モハユニ61として製造されたものを飯田線に転用した車輌です。形態としては国鉄内部で大阪形とも呼ばれた51系に属しますが、51系の中では唯一大阪とは無縁だったグループです。
本車の車歴です。
汽車會社東京支店製造 (モハユニ61003) → 1943.11.30 使用開始 東チタ → 1945.6 東イケ → 1950.8 東マト → 1952.4.30 改造 豊川分工 (クハユニ56012) 静トヨ → 1954 更新修繕 豊川分工 → 1978.10.19 静ママ → 1983.10.26 廃車 (静ママ)
本車は横須賀線用モハユニ61003として製造されました。形態的には51系に属する形となりました。しかし登場時既に戦争による物資不足が深刻で、モハユニ61として製造された3両とも未電装で出場しました。さらにシートもクロスシートではなくロングシートに変更されていたようです。翌年61001のみ電装されましたが、本車を含む残り2両は電装されることなく残されました。戦争末期、未電装の2両とも赤羽線のクハニ67の戦災補充として池袋電車区に転出します。しかし、赤羽線の荷扱い廃止で本車は失職し、常磐線に移ります*1。最終的に未電装の2両は飯田線に転用されることになり、シートのセミクロス化とトイレの設置工事が行われ、同様の改造を受けた常磐線から転用された元クハニ67の4両とともにクハユニ56として再編されることになります。
その後26年間豊橋機関区に籍を置き、飯田線の旅客・荷物・郵便輸送に従事しますが、78年に豊橋区の80系化で伊那松島区に移動します。結局31年間飯田線の輸送に従事したあと、新性能化で、後進のクモユニ147に道を譲ることになります。しかし新性能化後、まもなく飯田線での荷物・郵便輸送の廃止、さらに国鉄自体が荷物・郵便輸送から撤退することになり、クモユニ147はのちにクモハ123に改造されます。