省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元横須賀線用非電装モハユニ61だった 飯田線 クハユニ56012 (蔵出し画像)

 本車は元々横須賀線用モハユニ61として製造されたものを飯田線に転用した車輌です。形態としては国鉄内部で大阪形とも呼ばれた51系に属しますが、51系の中では唯一大阪とは無縁だったグループです。

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クハユニ56002 (静ママ) 1983.6 伊那松島機関区

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クハユニ56012 (静ママ) 1983.6 伊那松島機関区

クハユニ56012 (静ママ) 1981.8

クハユニ56012 (静トヨ) 1978.4 豊橋駅

クハユニ56012 (静ママ) 1981.8

本車の車歴です。

汽車會社東京支店製造 (モハユニ61003) → 1943.11.30 使用開始 東チタ → 1945.6 東イケ → 1950.8 東マト → 1952.4.30 改造 豊川分工 (クハユニ56012) 静トヨ → 1954 更新修繕 豊川分工 → 1978.10.19 静ママ → 1983.10.26 廃車 (静ママ)

 本車は横須賀線用モハユニ61003として製造されました。形態的には51系に属する形となりました。しかし登場時既に戦争による物資不足が深刻で、モハユニ61として製造された3両とも未電装で出場しました。さらにシートもクロスシートではなくロングシートに変更されていたようです。翌年61001のみ電装されましたが、本車を含む残り2両は電装されることなく残されました。戦争末期、未電装の2両とも赤羽線のクハニ67の戦災補充として池袋電車区に転出します。しかし、赤羽線の荷扱い廃止で本車は失職し、常磐線に移ります*1。最終的に未電装の2両は飯田線に転用されることになり、シートのセミクロス化とトイレの設置工事が行われ、同様の改造を受けた常磐線から転用された元クハニ67の4両とともにクハユニ56として再編されることになります。

 その後26年間豊橋機関区に籍を置き、飯田線の旅客・荷物・郵便輸送に従事しますが、78年に豊橋区の80系化で伊那松島区に移動します。結局31年間飯田線の輸送に従事したあと、新性能化で、後進のクモユニ147に道を譲ることになります。しかし新性能化後、まもなく飯田線での荷物・郵便輸送の廃止、さらに国鉄自体が荷物・郵便輸送から撤退することになり、クモユニ147はのちにクモハ123に改造されます。

*1:国鉄電車のあゆみ-30系から80系まで』, 交友社, 1968 の記述より。