現在の富士急行はすっかり他社中古車両の天下となってしまいました。205系の、しかも初期タイプを含んだ車両がいまだ活躍するのがみられるのはうれしいことですが... しかし、かつては自社発注の車両も活躍していました。
まずこちらは5000形です。手前のパンタグラフのない車両が5001, 後ろが5002です。1975年に日本車両で製造され、当時地方中小私鉄としては異例な冷房装置付きとなり、1976年にローレル賞を受賞しましたが、後続車両が製造されることはなく1編成にとどまりました。昭和50年に登場したので、5000形となったようです。75kwと比較的低出力の電動機を全台車に備えた、WN駆動方式のオールM編成で、のちにはラッピング電車として運用されましたが、部品確保が困難になったとの理由で、車令44年で2019年に引退しました。個人的にはごちゃごちゃしたラッピング電車よりも、下図のようなオリジナルの富士急塗色の方がすっきりとしていて好きです。
国鉄の標準部品が多用されたため、ちょっと見ると国鉄の電車のようですが、2扉で、キハ66、67に似ているとも言えます。個人的にはかなり好きな車両でした。
次の写真は、富士急行がまだ富士山麓電鉄と称していた時代、1956年に登場した富士急最初の新性能車として発注された3100形です。昭和31年登場ということで3100形と中途半端な番号付けになりました。やはり日本車両で製造されました。正面は当時流行していた湘南型(80系)風です。この車両は1997年に引退しているので、この写真は最末期で塗色も色あせが目立っています。
Wikipediaの記述によりますと、日本の狭軌初のWN駆動方式で55kwの電動機によるオールM編成とあります。富士急行はその後も主としてWN駆動方式の車両を使ってきましたがその元祖です。また富士急色の元祖でもあったようです。この車両は2年後に1編成増備されましたが、1971年踏切で車と衝突し脱線転覆事故を起こして廃車となりました。この補充として5000系が製造されたようです。
本車は、この翌年1997年に引退し、車体は信濃境-小淵沢間の中央本線複線化により発生した廃線跡(長野県側)に保存されていたようですが、保存団体も解散し管理する人もいなくなった結果、2016年に撤去解体されたようです。
以下は、保存後の状態を撮影された方のブログです。
山梨県に近いとはいえ、あまり縁もゆかりもなさそうな場所に置かれては (しかも灰色に塗られて)、関心を持つ人も少なかったでしょう。立地場所も悪かったようです。
因みに、5000形は、5001のみが下吉田駅構内のブルートレインテラス芝生広場に保存されているそうです。3100形の二の舞にならないことを願います。
以下保存状態をリポートされている方のブログ。
なお、富士急行線は、会社の告示によると、2022年4月をめどに、富士急行の子会社として分離される予定のようです*1。会社名は再び富士山麓電鉄に戻るようです。たしかに、鉄道部門は「急行」と名乗るにはおこがましい面もありますが...