省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

静岡ローカル運転用として豊橋区から富士区へ移った身延線のクハ47065 (蔵出し画像)

 本車両は、元々連合軍専用車だったサハ48022を改造したクハ47です。連合軍専用車になったときに、既存の座席の間隔ではアメリカ人の体格では窮屈ということで、ロングシート化された車両の一両です。日本の独立回復直前に連合軍専用車指定は解除され、代用2等車として使われましたが、それも1953年10月までに解除され、その後飯田線向けにクハ化された車両です。

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クハ47065 (静ママ) 1980.12 富士電車区

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クハ47065 (静ママ) 1981.4 富士電車区

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クハ47065 (静ママ) 1981.4 富士電車区

本車の車歴です。

 日本車輛製造 (サハ48022) → 1932.2.29 使用開始 東チタ→ 1935.11上旬 便所取付 → 1953.12.4 改造 豊川分工場 (クハ47065) 静トヨ → 1954.9 静フシ → 1956 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.7.1 廃車 (静ヌマ)

 もともとは本車はサハ48022として製造されました。元々は便所がなかったところ、横須賀線で電車化以前に運用されていた客車では便所があったことから苦情が出て、1935年にサロハ46(便所取付でサロハ66に)とサハ48に便所取付工事が施行されました。その後先に述べた通り連合軍専用車に指定されましたが、1953年にクハ化され飯田線都落ちしました。しかし、富士電車区のクハの20m車への統一でクハ18と交換で富士電車区に転出します。富士では、東海道ローカル運用廃止までその定員の多さを活かして、主に東海道ローカルを中心に運用されたものと思われます。1964年、静岡ローカル運用の静岡運転所80系移管後は、身延線旧形国電終焉まで身延線で使われました。

 なお、本車は旧形国電置き換え時に、1981.6.12に真っ先に運用離脱し、早期に廃車になってしまった1輌でした。

 

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