こちらは、先日公開したクモハ12を撮った同じ日に弁天橋電車区で撮った 101 系です。パンタグラフを見て、中央線山用に低屋根で製造された 101系 800代とすぐわかって撮影しておいたものです。
ただ、山用 101 系とは言え、モハ71やモハ72850代のように、日常的に大月や甲府方面まで足を延ばしたわけではなく、ハイキングシーズンの土休日に相模湖までの限定的な運用だったようです。子供のころ、このハイキング用臨時電車に乗った記憶があります。休日のみ、甲府方面の定期列車の代走運用があったようではありますが。現在の中央線は大月さらに富士急行線の河口湖まで足を延ばしていますが、国電の恒常的な大月方面乗り入れが実現したのは1986.11.1のことだったようで、201系による運用でした。
201系導入で中央線の運用を追われた後、鶴見線で余生を送っていました。
本車の車歴です。
モハ100-810
1965.8.5 川崎車輌製造 (東ミツ) → 1966.12.12 西ムコ → 1985.3.19 南テシ (1987.4.1 東テシ) → 1988.2.1 東ナハ → 1991.2.8 廃車
クモハ101-195
1965.8.5 日本車輛製造 (東ミツ) → 1966.12.12 西ムコ → 1985.3.19 南テシ (1987.4.1 東テシ) → 1988.2.1 東ナハ → 1991.2.8 廃車
面白いのはユニットを組んでいたはずなのに製造メーカーが異なる点です。
考えてみると車歴 26年で廃車となっています。安普請の209系、E217系でもそれぐらい走っていることを考えると、丈夫だったはずの国鉄車輛としてはかなり短命で廃車になった計算です。101系は元々オールM車として企画されながら途中でコンセプトが変わったため、当初の想定通りの性能が発揮できず中途半端に終わってしまったと言えるのかもしれません。国鉄としては新性能車のパイオニアだったはずですが... 冷房がなかったから短命だったという訳でもないようです。
50年も使われた車両もあった103系と比べると少し残念な存在だったと言えるかもしれません。なお、101系の大半は1992年まで廃車となり、唯一南武線浜川崎支線の101系のみが2003年まで運用されました。
なお、この写真も黄変からのサルベージ画像です。