省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元関西急電用サロハ46であった 身延線 クハ68109 (蔵出し画像)

 さて、こちらは元クロハ59のクハ68019に似ていますが、番号が100番台になっています。これもクロハ59から改造されたクハ68ですが、経歴が異なります。そもそも最初は中間車のサロハ46として製造されました。その後、モハ52の投入により急行運用から外れるのと、私鉄に対抗するために編成を短くして間隔を短くするために、クロハに改造され、後にクハ68に編入されたグループで、外見は似ていますが、窓配置が異なります。本車も幌を備えていましたが、1975年以降は68019と同様、あまり幌を活用するような使われ方をされていなかったように思います。

 運転台右側の窓のみはHゴム化されていましたがそれ以外はHゴム化されておらず樋も丸樋で、原形の雰囲気を残していました。これは更新修繕が早めの1954年度に施行されたためと思われます。

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クハ68109 (静ヌマ) 1981.5 富士電車区

クハ68109 (静ヌマ) 1981.5 富士電車区

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クハ68109 (静ヌマ) 1977.5 富士駅

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クハ68109 (静ヌマ) 1977.9 富士駅

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クハ68109 (静ヌマ) 1977.9 富士駅

 車内はモスグリーンのペイントで塗りつぶされていました。はっきり分かりませんが1970年に身延線に入ってきたクモハ60の大半が、御殿場線時代に既にペイント塗潰しだったようなので、それに合わせて1970年以降、あるいは全検担当が大船工場に変わった1973年以降塗潰されたのではないかと思いますが、はっきりとは分かりません。

では本車の車歴です。

日本車輛製造 1934.7.20 使用開始 (サロハ46102) 大ミハ→ 1936.4.1 改番 (サロハ46016) → 1937.9.中 改造 吹田工 (クロハ59024) → 1937.11.6 大アカ → 1938.10.20 大ミハ → 1943.6.1 改造(三扉化 & 座席撤去) 吹田工機部 (クハ55108) → 1948.12.4 座席整備 → 1951.12.13 大アカ → 1954.8.18 更新修繕I 吹田工 → 1954.10.23 改造 吹田工 (68109) 大アカ → 1965.3.4 静ママ → 1965.3.18 静フシ → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.12.9 廃車 (静ヌマ) ※1976-11 大船工 全検

 当初は43系の中間車、サロハ46として1934年に製造されました。なおサロハ46は急行運用用でしたので4両しか製造されませんでした。52系の投入と私鉄対抗のため1937年にクロハ59に改造、また急行運用から外れたため、他の3扉車とともに新設の明石区に転属します。さらに1943年に戦時体制で三扉化と座席撤去が行われクハ55108になりました。戦後座席整備が行われた後、1954年にセミクロスシートに改造されクハ68109(II代)と改番されます。1965年に飯田線を経由して身延線に転じ、以後、旧形国電廃止まで活躍しました。関西で31年間、身延線で16年間活躍したことになります。