本車は東海道・山陽線京阪神間用として1933年度にクハ58008として製造されました。その後、横須賀線を経由し身延線にやってきた車輌です。
正面貫通扉脇に、戦前の国電の後位貫通路開き戸脇にあったような大きな手摺があります。これは本車の特徴で、他に47110にありました。更新修繕で関東顔になっていました。
1-3位側の客用ドアは、2-4位側とは異なりいずれも桟入りでした。
本車の車歴です。
1933.11.29 川崎車輌製造 (クハ58008) → 1934.7 使用開始 大ミハ → 1945.1 座席撤去 → 1948.11.30 座席整備 → 1950.1.24 更新修繕I 吹田工 → 1950.10.16 東チタ → (1952頃) 静フシ → 1952 便所取付 → 1953.6.1 改番 (クハ47106) → 1957.9.16 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.6.20 廃車 (静ヌマ)
本車は、1950年に他の43系の車輌とともに横須賀線に転属となりました。おそらく最後に上京したグループです。その後モハ32とともに身延線に転属しました。しかし、「身延線 - 買収国電を探る(2)」, 『鉄道ピクトリアル』 1953年3月号 にある、車輌配置(記事掲載時期からの推定では、1952年秋~末頃基準?)には本車の番号がありません。一方同年7月の田町区の車輌配置表(『タイムスリップ横須賀線』, 大正出版)にも本車の車番がないので、ひょっとすると一旦豊橋区に転出したあと1953年頃富士区に移動した可能性があります。ただ、鉄道ピクトリアルの記事にある車両配置表が1952年当初基準の可能性があるので(例えば、現場では毎年1.1基準で車両配置表を作成していて、取材時はまだ1952年中だったので、1952.1.1基準の車両配置表を資料として渡した、など)、断言できません。
なお、本車は身延線旧形国電置き換え時に、1981.6.12に真っ先に運用離脱し、最初に廃車になってしまった1輌でした。
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