省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

関西出身 身延線 クモハ51828 (蔵出し画像)


 こちらも身延線の普通のクモハ51ですが、身延線の多数派のクモハ51とは異なり生粋の関西生まれです。関西型通風器も残しています。何度か比較的良い条件で写真を撮ることができましたが、1-3位側を良い条件で撮れた写真が1枚もありません。良い条件で撮れた写真は、すべて2-4位側ばかりです。

クモハ51828 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

 ご覧のように2-4側の床下機器は空気側になっていますが、これはもともと関西向け偶数車(下り向き)として製造されたためです。

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クモハ51828 (静ヌマ) 1977.9 富士駅

 

 手持ち写真で唯一の1-3位側写真です。露光条件は良くないですが資料として... なお、3番目の客用扉が見えていませんが、他の方の写真を見るとすべて桟入りの客用扉で揃っていたようです。こちらは電気側ですが、床下機器の配置が抵抗器が運転台側に来る関西型になっています。

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クモハ51828 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

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クモハ51828 (静ヌマ) 1981.8 身延駅

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クモハ51828 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

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クモハ60814 (静ヌマ) 1977.5 富士駅 3-4位側連結面

 なお、2-4位側の樋は原型通り丸樋でした。51-9 大船工 の全検の表示が見えます。またこちらの幌枠は小窓のついた静鉄タイプの幌枠に交換されていたようです。

では、本車の車歴です。

1937.8.12 日本車輛製造 (モハ51052) → 1937.8.29 使用開始 大ミハ → 1937.10 大アカ → 1944.6.16 座席撤去 → 1948.12.11 座席整備 → 1954.6.21 更新修繕 I 吹田工 → 1965. 2.20 大タツ → 1970.217 静ヌマ → 1970.6.30 改造 浜松工 (51828) → 1981.11.14 廃車 (静ヌマ)

 本車は、身延線では比較的少数派の関西向け偶数車モハ51として製造されました。関東向けとして製造されたモハ51とは床下機器配置が反対になっています。また関東の偶数向き電動車で更新修繕で機器転換された車と抵抗器の位置が異なっていおり、抵抗器が運転台寄りにあります。

 33年間の長きにわたり京阪神間を走り続けた後、身延線に移り余生を過ごしました。しかも京阪神緩行線時代のうち28年間はずっと明石区にいました。身延線の51の中では比較的シンプルな経歴だったと言えます。

 なお、室内はニス塗りのまま維持されていました。

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