本車はクハ47061と並んで前面直線雨樋と古典的な風貌を維持していた車両です。クハ47061との違いは前面に運転台中央窓下に空気取り入れ口が残っていたこと (47061は塞がれていました) 、台車がTR-23をコロ軸受けに改良した、70, 73, 80系の非電動車で使われたTR-43台車に振り替えられていたことです。但し正面から見た場合、TR-23なのかTR-43なのかは、判別が困難です。また、読者の方からご教示いただいたことですが、正面左側テールライトの下にあるステップが、本車は左右揃っています(47061は左側が欠落)。これが、クハ47061との最大の識別指標になると思います。
なお、本車は元々はサハ48016で、連合軍専用車指定を受けロングシート化されていたものをクハ化した車両です。
この車両にはなかなか会う機会がなく、以下の3枚の写真しかありません。しかも全体が写った写真が撮れませんでした。おそらく正面が出ているところに出会えば、写真を撮らないはずがないので、結局一度もしっかり正面がでている場面に出会う機会に恵まれなかったのでしょう。本車は1981.8.31まで予備車ながらも最後まで富士区にいたはずなのですが、なんでもっとしっかり撮っておかなかったのだろうと後悔しきりです。
なお、撮れなかった1-3位側ですが、他の方の写真を見ると客用扉の形状は2-4位と同じ形状だったようです。
台車がコロ軸受けであることがはっきり見てとれます。
客用貫通路扉はベージュに塗られていましたが、これは客室内のニス塗りが維持されていたことを示します。なお、カラー写真はこれだけでした... 正面はすぐ隣にクハ77がいて、しっかり撮れない状態でした。このとき正面が隠れてでも2-4位側を撮っておけばよかったのですが...
なお、他の方の写真を見ると客用扉の形状は1-3位、2-4位とも同じようです。
本車の履歴です
1935.12.22 汽車会社東京支店製造 (サハ48016) 東チタ → 1937.3下旬 改造 便所取付 → 1953.12.27 改造 豊川分工場 静チウ→ 1955年 更新修繕II 豊川分工場 → 1957.1.25 静ママ → 1958.6.26 静フシ → 1969.4.11 静ヌマ → 1982.2.26 廃車 (静ヌマ) [50-2大船工]
本車は、汽車会社東京支店にて1935年にサハ48016として製造されました。戦後は連合軍専用車指定を受けロングシート化されそのまま横須賀線で使われていました。専用車指定解除後も代用2等車として使われていましたが、それも解除になった後、最後の旧モハ32(モハ14)を飯田線中部天竜支区に転属させるのに不足する制御車としてクハ化されモハ14042~045および、47057, 059と共に中部天竜支区に旅立ちました。おそらく本車が中部天竜に行った最初の方で、057, 059は、1954年の2月に改造され中部天竜に配備されています。
更新修繕II は比較的早い時期、1954年度中に受けたため、前面直線雨樋ならびに運行灯のない古典的な容貌が保たれました。1955年に飯田線北部が1500V化されると、中部天竜に20m車はもったいないと思われたのか、社型制御車置換え用で伊那松島に取られます。しかし、富士区の東海道線ローカル運用の拡充で結局富士区に行き、そのまま身延線旧形国電終焉まで身延線用として走り続けました。
なおいつの時点で台車がTR-43に振り替えられたのか経緯は不明です。ただ『わが心の飯田線』サイトの記述によれば、すでに1957年の時点でコロ軸受けのTR-43に振り替えられていたようですので、かなり古い時点で振り替えられたものと思います。とはいえ、積極的に本車の台車をコロ軸受けに変更する理由もなかったように思います (快速表示器もないので快速運用にもついていないと思います) ので、更新修繕IIのあたりで、元のTR-23に問題が生じて、工場手持ちの予備台車に振り替えた、というようなことだったのではないかと推測します。
あるいは、クハ改造以前は連合軍専用車だったので、その時点で乗りごごちを良くしようと、試験的にコロ軸台車に振り替えていたという可能性はあるかもしれません。
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